研究紀要

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新たなる視座の獲得
研究紀要 「日本現代詩歌研究」

<第1号>

1994年3月
扇畑 忠雄 刊行に寄せて
中西 進 聖域としての詩歌
菅 邦男 萩原朔太郎と仏教音楽
中村 不二夫 東北伝道の山村暮鳥―秋田・湯沢・仙台・平―
島津 忠夫 明治35年の歌壇―「明星」所載の鉄幹の見解を中心に―
小林 孝夫 天に聞ゆる―『赤光』再考―
宮坂 静生 高浜虚子論―闇を見据えた人間の文学―
川名 大 戦時下の俳人たち―赤黄男・白泉・六林男を中心に―
コレクション資料紹介I 無限アカデミーコレクション

<第2号>

1996年3月
久保 忠夫 新韻会の興亡
James R.Morita 人間の悲劇
原子 修 近代詩の美の考察
来嶋 靖生 「新桂園派」の消長―井上通泰・田山録弥・松岡国男の歌―
中島 国彦 「藤の花」連作の周辺―1901年春の正岡子規―
松浦 敬親 句集『白痴』の「もう一度後期」の謎―川端茅舎とキリスト教
小室 善弘 漱石の俳諧的世界
コレクション資料紹介Ⅱ 岩本修蔵コレクション

<第3号>

1998年3月
Leith Morton 近代詩歌の誕生―与謝野晶子の『みだれ髪』(1901年)における新体詩と和歌の伝統―
小関 和弘 自動車と近代詩の交流
國生 雅子 詩集『思ひ出』その後―神話と制度―
菱川 善夫 齋藤史『うたのゆくへ』論―ロマン主義の宣言―
中 晧 鐵幹晶子とロセッティ
井上 暹 R.H.Blythと俳句―外国人の俳句理解をめぐって―
松井 貴子 写生から写生文へ―美術理論応用の様相―
コレクション資料紹介Ⅲ 山口青邨コレクション

<第4号>

2000年3月
日本現代詩歌文学館10周年記念巻頭座談会
中村 稔
安藤 元雄
佐佐木 幸綱
山下 一海
日本の詩歌―世紀の歩みと未来
澤 正宏 西脇順三郎の戦中、戦後―「淋しさ」の詩学をめぐって―
國中 治 立ちどまる旅―三好達治における口語四行詩の終焉―
三枝 昻之 木村捨録の昭和史
永田 和宏 写生論再考
宇都木 水晶花 二句一章の研究
復本 一郎 其角堂機一著『発句作法指南』と正岡子規著『獺祭書屋俳話』

<第5号>

2002年3月
【特集】詩歌と時代―時代区分をめぐって―
和田 博文 近代詩と現代詩の境域―『平戸廉吉詩集』を鏡として―
篠 弘 近代短歌の基点―私詩としての近代短歌―
川名 大 「モダン都市」を視点とした現代俳句史の起点について
徐 載坤 パイオニアとしての朔太郎―セセッションとの関わりを中心に―
橋浦 洋志 江南文三の〔散文詩〕をめぐって
大島 史洋 戦後「アララギ」の一考察―選歌欄のあり方をめぐって―
内藤 明 窪田空穂と「気分」
櫂未 知子 未完なる「老い」―飯島晴子の俳句をめぐって―
中岡 毅雄 高浜虚子の「人間探求派」評価―山本健吉評との比較検証―

<第6号>

2004年3月
辻井 喬
篠 弘
<対談>詩人として作家として
阿毛 久芳 「蟲寺抄」考
市村 和久 新教育課程と現代詩教育の課題―小・中・高を概観して―
川野 里子 語り残された自我―葛原妙子論―
島田 修三 斉藤茂吉と「逆白波」の歌
筑紫 磐井 近代雑俳の展望―冠句・狂俳・淡路雑俳・肥後狂句・薩摩狂句―
吉田 裕 西東三鬼論―物質に憑かれて―

<第7号>

2006年3月
【特集】現代詩歌における”批評”
藤井 貞和 シュルレアリスムの批評―飯島耕一氏まで―
加藤 治郎 現代短歌という存在
仁平 勝 戦後俳句批評―課題としての山本健吉―
佐藤 伸宏 『有明集』以後―蒲原有明に於ける詩の終焉―
野本 聡 快楽殺人と群集―萩原恭次郎『死刑宣告』―
今野 寿美 〈歌論〉から〈短歌批評〉へ―『新派和歌評論』の短歌史的意義―
米川 千嘉子 岡本かの子の歌における「いのち」の諸相
栗田 やすし 碧梧桐と一碧楼―木の崎俳三昧をめぐって―
坂本 宮尾 竹下しづの女の挑戦―俳句の複雑化を目指して―

<第8号>

2008年3月
【特集】詩歌における”修辞”
勝原 晴希 詩と修辞―「修辞的な現在」をめぐって―
大野 道夫 現代短歌の修辞とその背景
―会話体・記号、リフレイン、直喩、マンガ的レトリックを考察する―
藤本 寿彦 一九三〇年代における女性詩の表現―佐川ちかを中心として
宮崎 真素美 戦時下のロマンティシズム―詩誌「故園」をめぐる世界―
今井 恵子 短歌における日本語としての「われ」の問題
大辻 隆弘 憂愁の発見―斎藤茂吉「金塊集私鈔」における―
片山 由美子 昭和の女性俳句―四T以降の潮流と成果―
田島 和生 社会性俳句の時代―沢木欣一と『風』を中心とした俳人群像―
宮坂 静生 月をめぐって―芭蕉と虚子―

<第9号>

2010年3月
【特集】詩歌における昭和初期
疋田 雅昭 絶え間ない希求と断絶の間に―コミュニケーション論としての尾形亀之助の可能性―
安 智史 メタモルフォーゼする「語り手」―丸山薫初期詩篇の一側面について―
森本 平 昭和初期モダニズム短歌再考
吉川 宏志 <個>を守るということ―半田良平と昭和の戦争―
石 寒太 昭和初期の俳壇―いのちの俳句を求めて―
坊城 俊樹 平凡人虚子の花鳥諷詠
九里 順子 引き寄せる口語―屑星『鶴』前夜の詩集群―
穂村 弘 「生の一回性」の磁力について
河原地 英武 俳句の翻訳と意味の変容―虚子作品のロシア語訳をめぐって―

<第10号>

2012年3月
【特集】現代詩歌における愛唱性とは
高橋 順子 ひらかれた心の詩―リズムと技法の愛唱性―
山田 兼士 オノマトペとリフレイン―萩原朔太郎と中原中也の愛唱性を探る―
栗木 京子 大衆性と品格
谷岡 亜紀 <北>のドラマツルギー
小川 軽舟 近代俳句と愛唱性
仁平 勝 不安定な定型ということ―俳句における愛唱性―
権田 浩美 <界>を歩む、富永太郎―<倒>な再生の詩法―
品田 悦一 異化の技法としての写生―ファン・ゴッホ、ヤスパース、斎藤茂吉―
復本 一郎 和風の選んだ子規の「恋愛俳句」考―安藤和風編『恋愛俳句集』を読む―

<第11号>

2014年3月
【特集】人間と自然
大塚 常樹 風の想像力―立原道造と宮沢賢治―
池 昌代 詩の言葉が孕む 「自然」
名木橋 忠大 立原道造の 「ふるさと」
奧田 亡羊 震災後の自然詠
坂井 修一 「やおよろず」 は失われたか?―グローバリゼーションと短歌
松村 由利子 慕わしき山々―短歌にみる自然観の変還―
高野 ムツオ 自然と人間はどう詠われて来たか>
中村 雅樹 花鳥諷詠から季の存在論へ
三浦 加代子 人間と自然 (海鼠歳時記より)

<第12号>

2016年3月
【特集】詩歌は時代をどう映しているか―戦後70年にあたって―
田口 麻奈 詩にとって同時代性とは何か―〈荒地〉から二〇一〇年代へ
四元 康祐 詩の時代 時代の詩
大松 達知 高野公彦の都市詠―コンビニ、自販機、ホームレスなどを例に
松村 正直 戦後風景としての団地
渡 英子 初夏と若夏―沖縄短歌の百十年―
今井 聖 風景のリアル・言葉のリアル
加藤 耕子 「新しみ」芭蕉とブライス
田中 亜美 霧の〈郷愁〉・雪の〈寂寥〉―金子兜太における戦争と〈私〉性をめぐって

<第13号>

2018年3月
【特集】現代詩歌の日本語
加藤 邦彦 飯島耕一と定型詩
冨岡 悦子 憧憬の抒情のゆくえ
藤本 恵 現代詩歌と子どもの言葉―雑誌『赤い鳥』と田中千鳥から百年―
黒瀬 珂欄 文語とは何か
島田 幸典 〈うたう言葉〉―口語と文語のはざまで
田中 綾 学生アルバイト短歌―「連勤」「休憩時間」という〈新しい歌語〉
角谷 昌子 中村草田男・山口誓子の俳句の近代化とその後
青木 亮人 昭和の「路地」を生きた俳人、菖蒲あやについて―第一句集『路地』を中心に―

<第14号>

2020年3月
【特集】平成を振り返る―時代の変遷と詩歌
瀬尾 育生 ひとつの時代の終わりについて―伊東静雄の「夏の終」
竹本 寛秋 「インターネット」と「詩」を振り返る
秋葉 四郎 「平成」三十年、その光と影―一結社の作歌活動・作品から結社の未来を探る―
佐伯 裕子 空洞の美―平成の歌集から
藤原 龍一郎 『サラダ記念日』現象以後
荒川 英之 平成の俳壇を振り返る―沢木欣一による文芸性の主張を中心として
栗林 浩 平成俳句を俯瞰して
菅長 理恵 世界と俳句

<第15号>

2022年3月
坪井 秀人 過ぎ去っていく過去─湾岸戦争詩まで
陶原 葵 伊東静雄における中原中也の受容
能地 克宜 一瀬直行の初期詩作品における浅草─『炬火』『獅子』『制作地帯』、そして『彼女とゴミ箱』─
大井 学 現代短歌史「平成篇」の試み
田中 拓也 コロナ禍における生徒の短歌作品から浮かびあがるもの
林 和清 塚本邦雄最晩年の様相Ⅰ
坂口 昌弘 俳句と短歌は祈り─なぜ短歌は五七五七七で、俳句は五七五と有季なのか?
田部 知季 碧梧桐「温泉百句」の再検討─碧梧桐「磐梯山」、虚子「浴泉百句」に触れつつ─
筑紫 磐井 俳句における新表記方式─日本初の多行表記句集『征馬』─

<刊行委員会>

委員長 高野 ムツオ(俳句)
委 員 阿毛 久芳 (詩)
國中 治 (詩)
大島 史洋 (短歌)
佐佐木 幸綱 (短歌)
大串 章 (俳句)
栗田 やすし (俳句)

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