大串 章「濤の句、いのちの句」

著者 大串 章
タイトル 濤の句、いのちの句
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 35回[2020年]
分野 俳句部門 分類 選評

    元朝の濤うねり来るいのちかな
『火は禱り』冒頭の句。うねり来る「濤」を「いのち」と言い留めたところが眼目。本句集には「濤」と「いのち」の佳句が多い。たとえば―
    緑鳩 あをばと よ怒濤の秋を見に行かむ
    ある時は春の怒濤や山家集
    霜月は怒濤の雲と来たりけり
    あらたまの濤こそよけれ父母のこゑ
  四季折々の「濤」の句の中で、二句目「ある時は」に最も惹かれる。座五「山家集」が西行の歌「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」を思わせ、前出の「西行忌歩けぬ木々は葉を鳴らす」、後出の「千年杉の影の濃き日よ西行忌」とひびきあうからだ。因みに、鍵和田さんは大磯鴫立庵の第二十二世庵主である。次に「いのち」の句―
    いのちあるものは動きて氷湖かな
    いのちとは水を欲るもの原爆忌
    金魚掬ひあれは戦時のいのちの炎
    あけぼのの霜月の富士わがいのち
  氷結した湖の底で生き続ける魚。太平洋戦争末期、川に飛び込んで尊い命を失った被爆者。「金魚」の朱色を「いのちの炎」と言いとめた凄烈な眼差。「富士」を「わがいのち」と言いなした健やかさ。これらの句の背後には「自然と一体になりながら、不可思議ないのちの相を詠みたい」(第五句集『光陰』あとがき)という鍵和田さんの信念が窺われる。
    あぢさゐや部厚き辞書を繰る少女
  この句は鍵和田さんの少女時代を髣髴とさせ、『火は禱り』の「あとがき」の一節を思わせる。〈戦中、防空壕で読んだ『方丈記』が私の心に無常観を育てた。やがて西行から芭蕉、さらに近現代俳句へと流れる文芸の本質を考えるにつれて、根本を貫くものは「風雅の誠」であることに思い至った〉。鍵和田さんは昭和七年生れだから、太平洋戦争中はまだ十二、三歳、その十二、三歳の少女が防空壕の中で鴨長明の『方丈記』を読んでいる。俳人であるとともに俳文学者でもある鍵和田秞子のルーツを改めて思う。
    万緑の句碑に歳月積りけり
    万緑の池も万緑師はいづこ
    炎天の城は凜たり草田男忌
「万緑の句碑」は深大寺境内に立っている。「万緑の中や吾子の歯生え初むる 草田男」を知らない人はいないだろう。これらの句を読むと、十五、六年前に鍵和田さんと対談した時、人間探求派・中村草田男に師事した鍵和田さんが仰しゃった言葉〈季語なら季語を写生するだけじゃなくて、それを足がかりにして自分自身の心や行動を、季語で表現していこうとする、その人間探求派の基本的な行き方っていうのが、ずうっと、私の作句信条の一番の基本になっています〉(NHK学園『俳句春秋』90号 対談「俳句とともに」)を思い出す。中村草田男と鍵和田秞子の絆は強い。
    火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや
  句集名『火は禱り』由来の一句。素晴しい。

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