松平盟子「静かに深く屈折する歌」

著者 松平盟子
タイトル 静かに深く屈折する歌
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 35回[2020年]
分野 短歌部門 分類 選評

  ありふれた日常にふと垣間見る日常ならざる妙な風景。振り返った瞬間、意識と現実との狭間に段差のように出現するズレ。階段を下りようとした片足が着地点を失って宙をさまよう、そんな不分明な危うさ。
  花山多佳子の歌を思うとき、私はいつもこのような落ち着かなさと不思議なおかしみが誘発される。その特徴が歌の前面にせり出したのは花山の四十代以降ではないか。斎藤茂吉を十分に吸収したことに由来するのだろうが、それだけではないと思う。森岡貞香監修の『女性短歌評論年表』(二〇〇八年)作成に際し森岡のもとで資料整理などを手伝った経緯が花山にはあった。森岡作品の特異なシュールさも花山に多くを学ばせたことだろう。昭和半ばの森岡は葛原妙子と懇意で、二人は茂吉に夢中だったと葛原の随筆に書かれている。またいうまでもなく花山は著名な歌人・玉城徹の娘で優れた言語感覚を受け継いでいる。そうしたさまざまなエッセンスを吸収しつつ自らが生きる時代性を加味し表現を磨いた歌人として、私は花山を理解してきた。
  十一冊目の本歌集『鳥影』はその後の花山短歌をどう評価するかという点で読んだ。二〇一二年から一五年までを中心とした六十代後半の作品である。長女が出産し花山に初孫ができて以来の年月、同時に自らの老いへの気づきの年月と言い換えていい。作品にいささかの柔和さが加わり、新たな歌世界が広がろうとしている。その魅力が今回の受賞に対する一番の理由である。
    眠る娘に乗りあげてゐる赤ちやんがふりむきざまに吾に笑へり
  母に乗り上げ次の時代を生きる孫は、命の逞しさと共に無意識の残酷さを持つ。
    その母のあたま撫づれば幼子は髪ふり立てて泣きはじめたり
    シーソーに跳ねあがりては見下ろしぬ 娘と子どもの笑ひを一つに
   「オモチカエリデスカ」「ピッ」と言ひつつ幼子は吾の背中に何か
    押し当つ
  作者は娘、孫の関係性に従来的な甘さを持ち込まない。他者としての血族に理屈のつかぬ感情の戸惑いを加え何度も捉え直すのだ。
   「さびしいが一人がいちばん」老人会七夕の短冊に書いてありたり
    おばあさんが下枝引つぱるその上にかずかぎりなく垂るる柚子の実
  今の日本の老人たちは家族の中に晩年の幸いを求めようとしないのか。一人暮らしは心通わぬ肉親と暮らすよりずっと楽。手の届かない柚子があればその輝きをなんとしても採りたい。描かれる老人は変に生々しい。
    春雪の気化する街路けぶりつつ生者は薄く亡き者は濃き
    掘割の排水孔は春すぎて去年の枯葉を き出だしたり
    藤棚にひとふさ垂るるむらさきは垂直に虻を引き寄せていく
    シーソーは see と saw との繰り返し恍惚として疲れてゆけり
  ありふれた事象も花山の内側を通過するとぎょっとするような光景に変化する。その静かに深く屈折する面白さこそが作者の真骨頂だろう。

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