著者 | 藤原安紀子 | ||
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タイトル | どうぶつの修復 | ||
出版年月/出版社 | 2019年10月/港の人 | 受賞回[年] | 35回[2020年] |
分野 | 詩部門 | 分類 | 作品 |
[略歴]
一九七四年、京都府生まれ。二〇〇二年、現代詩手帖賞受賞。詩集に〇五年『音づれる聲』(歴程新鋭賞)、〇七年『フォ ト ン』、一三年『ア ナザ ミミクリ an other mimicry』(現代詩花椿賞)。詩誌『カナリス』、リーディング・パフォーマンス・ユニット「ヒガヨン・セラ」に参加。
[受賞のことば]
根をはるものではなく、流れていくもの。風、水、光、息によって。力を享け、抱きとめる一瞬もあり、けれどどうしても個からは離れていくもの。はじまりもおわりも、在ろうとなかろうと、絶えず動いている。そういったことが「詩」と信じてきました。本書は「詩」の希いとともに、使命よりも危機を感じて編まれており、想いは地上へと向かっています。数多の私という固有性は、こんなにも複雑に絡みあう事物の現象の乱舞であり、射影です。拙い筆でなぞり、ことばによって掬われたこれらは叙事詩だと、自身の名の境界で謂ってみたいのです。
[作品抄出]
じかん〈庭園〉κٓηπος
研究所なのか工場なのか。六角形の古びたふたつの塔を最上階のみがつないでいる構造物のゲートにいる。周囲はいちめん牧場、視界のかぎり他に存在はみあたらない。六角形は東西の底点に鉄格子のとびらがあり、なかにはキュポスがうずくまっている。内部はひろく、壁には不均一に空洞があり、巨大なチェーンが持ち上げ下ろしている。ゲートを目指して移動してきたものものは、変形してキュポスへとなだれ込んでいく。わたしたちも流れに同調してのぼる。
最上階までいちども開扉しなかったが、その位置につくと同時に、キュポスは臓器になっていた。そして、東西の六角形を統制するうごきをはじめる。直結する器官の背景には、白やグレーのながい裾を引きずっているムウが、ひとのようにおおぜいいる。ときの放物線上で唸り声をあげ、それらは奔ることもあった。透過してみえる本質はなく、自生を示すため、飛沫に似たひかりかたをした。
よしはるはじめんで翼にくるまれ眠ろうとしている。頰があかい。
森〈再生〉παλιγγενεσία
記憶と忘却の谷間を、優雅に飛んだり跳ねたりしている、まどろみのムウ。
朝には泣きつかれて水色のゴミ箱のそばに隠れていた銀色のムウ、瘦せ細ったムウ、この街のはじめての夜明けに大失恋をして、紙袋のなかでくいしばって震えていた。こだまする哀歌に背を向け、かすかなじぶんに戦いでいる。銀色のなびいているムウ、騒音のムウ、ひとでもないのにひとでなしと名指されて、歪んだシッポを叩くように振っているムウ。
いつまでも話していたかった。だけど、きりがないので接尾語の禁止をはじめのルールにすると、目を潤ませて訴えてくる。ムウはどんなときも必死だった。
コマンダーが発した最悪の一行をパイシートに挟んで、今朝は広報のため、シードを広場のダッチオーブンで焼くことにする。セージをたっぷりふりかければ人道くささは軽減されるし、そもそも無臭はきけんだって、ぼくらがいわずに誰がいう。ムウの得意な独りごと。一行ずつをラザニアの層にして味つけするのはムウの役目。焼きあがるまでは控室に駆け入りひとやすみ。寝言をいう暇もなく、はたらきもののムウは落照譚の読みかえしから、読みつぶし。ふくれあがって表紙がどこだかわからない本の頁を闇雲に捲り、ころころ笑っていたかと思えば、水銀みたいな涙をこぼす。文字をしらないムウにとって読書はほとんど、息することで食べること。咀嚼ごと、交わりを深めながら無知と無能を、ほら、あんなに愉快に転がしている。夢中で読書するうちに人智を燃した煙が流れて、焼きあがるラザニアの匂いに行列ができている。ひとでなしでないひとによると、空腹はさもしいからレシートみたいな一行でもじぶん語りの一千行でも、とにかく咀嚼するしかないと。
ムウはえくぼの脇にもう一行の皺を刻んだ。風車のようにくるくる回って、四方八方へ呼びかける。
キュポス〈星〉ἄστρον
「ハッフォー?」
ぼくには、こころが、わからない。だから、イドの奥、その森の海原へ急降下しても
朝食をいっしょするくらいが精一杯。萌芽の寸前、セイレーン似のよばれびとは
蒸しパンをひとつかみ、ソーセージにマスタードをたっぷり乗っけて、拍子の隙間に
もぐり込む。観念のミックスジュースは
あまくなく、生態系では自給できない養分が
あったとしても、きみにいわせりゃ食えない泪
人道的になるのはルール違反、こしを浮かせて空疎な真理を奥にずらす。小ぶりな
分身がしっぽを振って
けだるく耽美に指揮するうちは、単語のルールもみんな
ちがう。だのに、さ。ゲージュツに
掃除はできますか。とっ散らかるどころじゃなく、もはや
トーチは廃墟を照らす。目くらましの朗読が詩を
平すですよ。哀歌の拡張子はいりますか。おら、こっち向け
ゲージュツに相似はできますか
ドベデ、
ダビチ、
マキアライ。
きみを生きるのはその部分をも埋めること
みみずもミミズクもおし黙る牧神のとなりで
その身をチャントにして、わたしを押しだしていく
よばれびと〈動物〉ζٓῳα
緑のファクトとはおそらく、ファ
ムウとふくろうは並列する。もちろんミミズクも。
目をとじたときにみえるものがあるように、きみをぬけるとそのむこうで咲くものがある。
定位置など永遠にないと知るぶんだけ、ムウとふくろうは歩幅をずらしている。
(掲載作は抄録。選出・倉田比羽子)