小島ゆかり『<ruby>六<rt>りく</rt>六<rt>りく</rt>魚<rt>ぎょ</rt></ruby>』(2018年9月/本阿弥書店)

著者 小島ゆかり
タイトル 六六魚
出版年月/出版社 2018年9月/本阿弥書店 受賞回[年] 34回[2019年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九五六年、愛知県生まれ。早大短歌サークルを経て『コスモス』に入会、選者。現代歌人協会理事、産経歌壇選者など。歌集『憂春』で迢空賞、歌集『泥と青葉』で斎藤茂吉短歌文学賞、歌集『馬上』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。二〇一七年秋、紫綬褒章。  

[受賞のことば]
  受賞のお知らせをいただいた日は、三月十一日でした。その日であることを心に深くしまいながら、一方では、深刻な介護の状況に奔走していた日でもありました。自然や社会の大きな事情と、個人の小さな事情とをこもごもに引き受けながら、だれもが生きているのだと改めて思いつつ、そんななかにもこんな大きなよろこびをいただいた自分の幸福を思います。タイトルの「りくりくぎょ」は、鯉の異称です。この呪文のような言葉が幸運を導いてくれたのかもしれません。選考委員の方々をはじめ、関係者のみなさまに、心よりお礼申しあげます。


[作品抄出]

うさんくさき自分に気づくいついかなるときも真顔の猫と暮らせば

下の子はけふ母になり とほざかる風景のなか夏の雨ふる

この夏の或る日よりわれは祖母になり祖母といふものは巾着に似る

おそなつの雨後なほ暑しゆふぞらをわしづかみして鴉飛びたり

中年と老年の境いつならんいちじくいろの雨後のゆふやみ

家にても遠くありてもわれはわがふるねこにひたと見つめられをり

見つめ合ふうち入れ替はることあるをふたりのみ知り猫と暮らせる

どんみりと猫は寝てをり遠雷のなごりを耳の奥に納めて

ただならぬえにしおもへどおほかたは寝て暮らすただの古猫、彼は

もの思ふ秋もへちまもありません泣きぢから凄き赤ん坊ゐて

赤子寝てこくんとしづかカナブンのふいに大きく網戸をのぼる

赤子泣くそこは世界の中心でそこは世界の片隅である

あけぐれは神々のつどふ時間にて畑にましろき大根ならぶ

東京のにごりのなかにふしぎなる安堵あり冬の雨ふる街路

はさはさと天にもおとし武蔵野のもつともうつくしい冬が来た

武蔵野の森に夕陽のしづむころわれは煮炊きのほのほ点火す

春の雪 鴉は鴉恋しさに鳴くならんそのこゑのむらさき

はるぞらのどこかチカッとひかりつつあけつぱなしの文房具店

ときどきはもんしろ蝶も出入りする文房具店だれかゐますか

文房具のにほひなつかし交換も一つおまけもなし人生は

飯舘村、浪江・川俣・富岡町、避難解除す 東京は雨

帰る人帰らない人帰れない人どの人も六年老いて

すれちがふ気配つめたきひとりあり過ぎきてあれはさくらとおもふ

それはそれはいい人でしたこれの世のうらへおもてへさくらちるなり

かなしくてすずしくて雨の街をゆく 亡き人はもう雨に濡れない

亀を乗せ石やはらかく濡れてをり未生・生前・死後の夏あり

亀は石に石はときどき亀になりとろりとつむる時間のまぶた

亀しづみ蜻蛉とび去り秋天下われがもつとも難題である

過ぎし日は失はれたる日にあらず今日ここに在るテーブルとわれ

母となり祖母となりあそぶ春の日の結んで開いてもうすぐひぐれ

(掲載作選出・三枝浩樹)

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