和田まさ子『軸足をずらす』(2018年7月/思潮社)

著者 和田まさ子
タイトル 軸足をずらす
出版年月/出版社 2018年7月/思潮社 受賞回[年] 34回[2019年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九五二年、東京都生まれ。元国立市職員。公民館に勤務し、講座の企画運営にあたる。二〇〇七年詩作を再開。詩集『わたしの好きな日』『なりたい わたし』『かつて孤独だったかは知らない』『軸足をずらす』(第26回萩原朔太郎賞最終候補)(以上思潮社)。個人詩誌『地上十センチ』発行。『生き事』同人。

[受賞のことば]
  詩を集中して書き始めたのは比較的遅かったのですが、活字にはならない言葉が仕事や生活の中でそれまでも身のまわりに浮遊していたように思います。ある日、自分が「壺になる」というイメージから詩があふれ出しました。現実と少しずれて生きている私だけれども、詩ではそんな地上十センチにいる自分を書くことができる、かつて感じたことのない喜びでした。軸足だって動かしてもいい、言葉と身体の距離を伸び縮みさせながら書いています。選考委員の方々、詩集を読んでくれたみなさんにお礼を申し上げます。

[作品抄出]

  極上の秋

シュウメイギクが咲いている団地の
角を曲がった、その角を
同じ角度であとから曲がる人がいて
真似られているから
今日のわたしを一枚めくる
もともとはがれやすい皮でできている
おはじきのようにからだじゅうに散らばった感情が
ひとつに集合し、かたまりのなかで
じぶんと親密になる
五反田川のわきを通る
明瞭でないものをふたつ抱えて
いつか捨てるはずだったが
きょう心を離れた、欲望の命令に
服従した過去も捨てる
きれいな指だった

支持する人を
始末して
生田の公園はからっぽだ
もう、ここに用はない
理由があってもなくても
靴底は新しい
行きなさいと声がする

角を曲がって
にんげんが逆さに立っている野原まで
重石のような川水に
男が話しているのを
耳でも目でも聞きながら
たくさんの比喩に
負けないで通り過ぎる
極上の秋だ
 

  軸足をずらす

逃げるときは
そしらぬふうに
ゆっくりと歩く
混雑しているアジア
みんなが追っ手の目つきで並び
左右にからだを揺らして動く
おしゃれ着物の女子たちが
笑いあって、饅頭を食べて
告白しあっている
生々しいことは遠ざけて
今日の天気
それだけが頼り
平べったいからだになって
参道の流れに乗る
人のことばをつかもうとする手が
枯れ葉のように
石畳に落ちて
だれかに踏まれようとしている
とても濃い世間に
息があがって
川の魚が口をぱくぱくしているから
人といると呼吸を整えられなくて
ときどき顔を背ける
だから
いい人だと思われなくてもいい
いつの間にかこの世にいたが
どこかに軸足をずらす
さみしい方へ傾斜するのだ
 

  抜けてくる

ひらたい地面の町の
板の上に
思想の杖が
積まれていたことが
かつてあった
年月はそのあたりに太い草を生やしたが
いまは枯れ切った紫陽花の頭の垂れる冬だ
こちらから見えるのは
横向きに歩く人、人
犬だけがこちらを向いて
さびしいあくびをして見せる
ガラス戸があるのは
いつでも人が空に浮き上がっていくのを
押さえるため
だれかが
木でつくられた人型を通る
待っていれば
やがて来る
壊れながら、抜けてくる
 

  夜をわたる

くちびるからはじまって
いくつもの凹凸を通り
あなたの耳に届くはずの
わたしのことばが
いつもより少し高い音階で発せられた
つながる
つながらない
わたしたちの間の
はるかな距離に
ときどき絶望的になるが
それはわるいことではない
そこから出発することを知っている

東京の夜をわたる
鰐がいて
人々の秘密を見張っている
それがわたしたちの破滅的な関係を見破ったとしても
何度でも街は
わたしたちを蘇生させる
わたしたちは街の生贄
試されている存在なのだから
二十四時間監視されている
でも逃げないでいたい
わたしはTシャツにアフリカのくびかざりをつけている
カラフルな大きな石が呪文のようにぶら下がる首をあげて
夜の渋谷を闊歩する

ことばはあなたには届かない
すべてのあなたたちには届かない
だからといって
生きていけないわけはない
 

  生きやすい路線

府中駅のロータリーの暗がりで
生きやすい路線バスを探している
人をもてなし
わるいものにも巻かれて
やるべきことは
やったはず
でも、まだやらなければならない修練があるようだ
駅ビルの谷間で
敷石に足を取られつまずいた
声をあげてもだれも振り向かないが
石の冷たさが清々しいのはなぜだろう

苦労せず
世紀を跨いだが
待っていたのは古い神話だった
どのシステムでも人間は最後尾にいて
足踏みをさせられている
あるいは指に熱中して
時間を忘れさせられている
よき隣人としての磁力はないが
へこたれない

次々に来るバスから
めまぐるしく生きると死ぬが吐き出され
ここを起点に運ばれていく人たちを見送る
その中にじぶんのすがたもあった

小金井駅南口行き
この路線に
親切なカウンセラーがいる
高ぶった波をかぶった
今日のじぶんが
他人に助けてもらいたくて
素直にそこに行こうとしている
前のめりになって
それがわるいわけではないだろうと
勢い込んでいる

みっともないことも少ししたが
ことばでもからだでもないところが
すばらしい速度で
成長している
「ここだけの秘密の話」でいっぱいの脳髄から
ヒロインは生まれて
いまはただのにんげんのくずになろうとも
まだ新しい一ページを開こうとしている
路線バスからの眺め
きっと美しい

(掲載作選出・吉田文憲)

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