著者 | 内藤明 | ||
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タイトル | 人間と自然 | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 33回[2018年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 選評 |
宮崎に生まれ、東京での学生生活の後、帰郷して作歌を続けてきた伊藤氏の十四冊目の歌集である。風土の中で培われた人間と自然との融合への希求は、アニミズム的な自然観と歌の言葉・調べを得て、平明にして豊かな世界を自らのものとしている。
飲むときに千年を超ゆ水彦の棲むとおもへる渓流の水
日向灘ゆ月のぼりきて丘照らす
口にする渓流の水に、宿り続けてきた水の霊を感じ、紫陽花を擬人化しながらユーモラスにその白をたたえる。日向の自然は、大らかに作者を包み込む。伊藤氏の長年の葛藤と蓄積の上に作られている世界といえる。
またこの集では、列島各地への旅の歌が多く見られる。伊藤氏が追い続けてきた若山牧水をめぐっての旅が多いが、牧水の足跡や歌を追いながら、その時空と向き合う。
石垣の一つとなりて恋ひごころ遺せる人のほろびざる歌
「白玉」は歯の形容にあらざりき酒ひとしづくひとしづくなり
前者は詞書きにある牧水の「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」に和するような歌、後者は「白玉の歯にしみとほる」に応じた一人酒の讃歌。多くの人や歌とも交わり、歌に流れている抒情や調べや生を現代に呼び込む。短歌が孤りの営為ではないことを思わせる。
また、一〇一歳で亡くなった母を詠んだ歌も、どこか笑いをも誘い印象に残る。
認知症あるいは認知症のふり 分からぬままに母に微笑す
一日に五個とかぎりし母の飴 こよひの月は金いろの飴
悲傷や慟哭とは異なった、しかし母と子の繫がりや思いを伝える歌が多い。このように、伊藤の歌は向日的抒情的で、時代の痛みや傷に関わりのないようにも思えるが、伊藤の眼は、しばしば時代の酷薄にも向けられる。
牛のほとけ豚のほとけとなりたりや口蹄疫より五年の過ぎて
懸崖に立つ幼子を遠まきにわれら見てゐる夢を見にけり
動物や子どもが置かれている状況は、現代の人間そのものが置かれている状況といっていい。伊藤はこういったものを直視しながら、列島のさまざまな地域で人々に受け継がれてきた文化と向き合いつつ、希望、祈りとしての歌をうたう。歌集に見られる温かさやよろこび、人・自然との親和は、伊藤のゆとりや熟成を示すとともに、一冊は現代の歌の可能性の一つを示しており、三人の委員の一致して推すところとなった。
北国の
遠音よし遠見よし春は 野への道ひとり行きつつ招かれてをり