伊藤一彦『遠音よし遠見よし』(2017年12月/現代短歌社)

著者 伊藤一彦
タイトル 遠音よし遠見よし
出版年月/出版社 2017年12月/現代短歌社 受賞回[年] 33回[2018年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九四三年、宮崎生まれ。早稲田短歌会を経て『心の花』に入会。現在、若山牧水記念文学館館長、現代歌人協会常任理事。歌集『海号の歌』で読売文学賞、歌集『微笑の空』で迢空賞、歌集『土と人と星』 並びに評論『若山牧水』で現代短歌大賞・毎日芸術賞を受賞。宮崎市在住。

[受賞のことば]
  今年は若山牧水没後九十年になります。故郷の宮崎県を始めとして全国の牧水ゆかりの地で顕彰事業が行なわれますが、そんな節目の年に第十四歌集『遠音よし遠見よし』に詩歌文学館賞という大きな賞をいただいたことに格別の喜びを感じています。この書名は遠くの音に耳を澄まし、遥かの眺めに眼を凝らすのが好きだった牧水を胸において選んだものであり、そんな牧水への憧れが本書のいたるところに出ていると思います。三名の選考委員の方々に心より御礼を申し上げます。二年ぶりに日本現代詩歌文学館を訪れるのも楽しみです。


[作品抄出]

飲むときに千年を超ゆ水彦の棲むとおもへる渓流の水

きりきりと目白は鳴きて飛び去りぬ警戒されしわれはにんげん

      奈良の興福寺。
久久に逢ひて拝める阿修羅像 より若く見ゆわが老いしぶん

私はわたくし人ではないとあぢさゐが人のかほしてまつしろに咲く

      牧水の青森行は大正五年三月。
青森に初めて会ひしひとびとをなつかしきとは牧水の言

十五夜はすべての人が近くしてかつ遠きかな川面光れり

千越ゆる羊雲てのぼりくる十六夜の月 われも率らるる

      大正三年九月生れ。今年満百歳。
桜じま大噴火せし年にれまだまだマグマたまりゐる母

お喋りといふ一芸に自らを助けきてけふも芸を発揮す

痙攣し死にたる鳥を見し記憶ふいに飛びきぬ隕石のごとく

菜の花を飾るか食ふか結局は食ひてしまひぬれも吾妻も

住み悪しき国になりぬと言はぬまま里は花咲き鳥啼きてゐる

      牧水の「白玉の」の歌。
「白玉」は歯の形容にあらざりき酒ひとしづくひとしづくなり

認知症あるいは認知症のふり 分からぬままに母に微笑す

天国にもう行きたしと今日もらすただし急行でなく「鈍行でね」

光りつつ水がほほゑむ空に立つ大いなる虹を見あぐる人に

牛のほとけ豚のほとけとなりたりや口蹄疫より五年の過ぎて

一日に五個とかぎりし母の飴 こよひの月は金いろの飴

時として思ひ出でたり垣間見にける百一歳ひゃくいちの母のちちふさ

     「絶望のきはみに咲ける一もとの空いろの花に酔ひて死ぬべし」(『路上』)
空いろの花とは何の花ならむ この世には無き傷なき花か

夏といへば夏の終りのさびしさをまづ思はぬか竹伐る人よ

光強き残暑の道を人間のきれはしのごとわれは歩めり

阿蘇大橋落としたまへる力業かたへの地蔵かなしく見けむ

秋の夜を財布忘れて文なしに歩くたのしさ星に挨拶す

日向灘ゆ月のぼりきて丘照らすこまかなる光に酔ひぬ

懸崖に立つ幼子を遠まきにわれら見てゐる夢を見にけり

北国のゆきも雪解も知らずゐる人間に欠くるものを教へよ

遠音よし遠見よし春は 野への道ひとり行きつつ招かれてをり

フランス語に似ると言ふ人ときにある日向弁もて花の雲語る

(掲載作選出・内藤明)

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