若松英輔『見えない涙』(2017年5月/亜紀書房)

著者 若松英輔
タイトル 見えない涙
出版年月/出版社 2017年5月/亜紀書房 受賞回[年] 33回[2018年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九六八年、新潟生まれ。批評家・随筆家。二〇〇七年「越知保夫とその時代」にて三田文学新人賞、一六 年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて西脇順三郎学術賞を受賞。著書に『井筒俊彦』『イエス伝』『小林秀雄 美しい花』『魂にふれる』『生きる哲学』『悲しみの秘義』『言葉の贈り物』など。

[受賞のことば]
  詩は、詩人の告白である以前に、未知なる他者の言葉にならない思いの委託である、とリルケはいいます。彼の「他者」には、天使と死者もふくまれますが、その感慨は詩作における私の態度を決定しているように思います。本賞にふさわしい言葉がもし、あの詩集に記されていたなら、それは私の言葉である以前に、他者たちの告白であると信じます。不可視な協同者たち、審査の現場に詩集を運んでくれた読者、そして本を送りだしてくれた書肆とその周辺で働く人々に感謝をささげ、この度の出来事を共に喜びたいと思います。

[作品抄出]

  風の電話

海の見える高台に
白い電話ボックスがあって
そこに
配線の切れた
黒電話がひとつ
岩手県上閉伊郡大槌町にある
風の電話

受話器をとり
耳にあてても
何も聞こえない
でも
訪れる人は皆
亡き者たちにむかって
話しかけようとする

人が
何かを語るのは
伝えたいことがあるからではなく
伝えきれないことがあるからだ
言葉とは
言葉たり得ないものの
あらわれなのである

だからこそ
語り得ないことで
満たされたときに
人は
言葉との関係を
もっとも
深める

嘆き
うめ
涙して
言葉を失ったところで
ようやく
死者たちの
語らざる声に気が付く

 どんなに
 悲しんでもいいけど
 あまり
 嘆かないで
 わたしの声が
 聞こえなくなるから

 悲しんでもいいけど
 顔をあげて
 あなたにはわたしが
 見えないけど
 わたしには
 あなたの姿が見えるから

 悲しんでもいいけど
 ぜったいに
 ひとりだとは
 思わないで
 いつもわたしは
 あなたのそばにいるから

生者たちよ
語ろうとする前に
亡き者たちの声を聴け
祈りのとき
彼方から訪れる
無音の響きを聴くように

 

  楽園

彼らがもう
人前で
声を出して泣かないのは
どんなに大きくわめいても
亡き者たちに届かないのが分かっているから

でも彼らが
ひとりでいるときに
うめくのをやめないのは
どんな小さな魂のふるえも
死者たちが見過ごさないのを知っているから

かなしみは
生者と死者が
出会う場所
悲愛という名の
楽園

 

  ヒトから人へ

おもいをこめて
愛する者に
花を贈ったとき
ヒトは
獣性を脱した
そう語った思想家がいる

だが
ヒトは人間に
ならなくてはならない
ヒトを
人間にするのは
かなしみ

胸が
打ち砕かれ
ひきさかれそうになる
悲しみ

隣人の痛みに
はげしく
心ゆさぶられる
哀しみ

喪った人を
いまここに
強く感じる
かなしみ

世に飛び交う
情愛の姿を
まざまざと映じる
かなしみ

折り重なる
四つの色をたずさえた
おまえの胸にある
世に
ただ一つの
かなしみ

 

  悲願

生まれよ 言葉
わが胸を 打ち破りて
出でよ
この 小さき身に潜む
滅びることなき
命のありかを告げよ

語れよ 言葉
わが身を用いて
広がり
力を伴いて 顕われ
苦しむ者たちに寄り添い
生きる意味のありかを告げよ

響けよ 言葉
わが魂を
突き抜け
真の歓びは
深き悲しみの果てにあることを
うめく者たちに告げよ

 

  歓喜

忘れがたい
歓喜の経験を語れと言われたら
わたしの心はすぐに
あの微笑ましい 小さな出来事を
思い出そうとする

だが わたしの魂は
探し求めていた 本当の歓びが
耐えがたい
悲しみの彼方にあったことを想い出せと
穏やかにつぶやく

身を裂かれるような
しょうのなかでお前は
美も愛も 真の一端さえも
はじめて知ったのではなかったかと
細く 静かな声で語りはじめる

(掲載作選出・以倉紘平)

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