長田弘『幸いなるかな本を読む人』(2008年7月/毎日新聞社)

著者 長田弘
タイトル 幸いなるかな本を読む人
出版年月/出版社 2008年7月/毎日新聞社 受賞回[年] 24回[2009年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九三九年福島市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。一九六五年、詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。主な著書に、詩集『深呼吸の必要』『食卓一期一会』『世界は一冊の本』『一日の終わりの詩集』『人はかつて樹だった』、エッセー『詩は友人を数える方法』など多数。

 

[受賞のことば]
  詩でしか書けないことを書いておきたいという気持ちが、自分の人生でいつもいちばん身近だった本にむかって働いたとき、本を友人として書くという、『幸いなるかな本を読む人』のモチーフが生まれました。人生でもっとも長く深く付き合った親しいものについて書くという幸福をあじわうことのできたこの詩集に、いま、さらなる幸福をかぶせていただいたことをとてもうれしく思います。
  推輓してくださった方々に感謝します。そして、もちろん、かけがえのない友人としての二十五冊の本たちにも。

 
[作品抄出]

  檸檬をもっていた老人

読むことは歩くことである。
歩こう。空で、鳥の声がした。
街へでる。じぶんの街を、
初めて歩く街のように歩くのだ。
新鮮な八百屋があった。魚屋があった。
花屋があった。菓子屋があった。
広告塔があった。ドラッグがあった。
唐物屋があった。本屋があった。
およそ遊星のなかで、地球が
いちばん愉快な所だ。まりをかがる
青い糸や赤い糸のように、
地球をぐるぐる歩いてゆきたい。
二十三歳の青年は、そう思っていた。
何処へどう歩いたのだろう。
それから長い間、街を歩いていた。
信号が赤に変わった。立ちどまった。
京都、河原町三条の交叉点だった。
正午の舗道に、老人が一人立っていた、
いかつい横顔に、微笑を浮かべて。
だが信号が、青に変わったとき、
老人のすがたは、どこにもなかった。
幸福な感情がふっと消えたような気がした。
そのとき、気づいた。消えた老人は、
百四歳のモトジロウだった。夢という
宿痾しゅくあを、終生、胸にじっと隠しもっていた
カジイモトジロウ。人は死ぬが、
よく生きた人のことばは、死なない。
歩くことは読むことである。
老人は掌に、檸檬れもんを握っていた。
京都の丸善が店を閉じた年の話である。

 

  もう行かなければならない

人生は、何で測るのか。
本で測る。一冊の本で測る。
おなじ本を、読み返すことで測る。
四月、穀雨の季節がきたら、
毎年、その本を読み返す。
きみが、好きだと言った本だ。
あの、最後のことばが、好きだと。
プラトンの『ソクラテスの弁明』の、
最後のことば。
もう終わりにしよう、
時刻だからね。
もう行かなければならない。
わたしはこれから死ぬために、
諸君はこれから生きるために、
しかしわれわれの行く手に
待っているものは、どちらがよいのか、
誰にもはっきり分からないのだ、
神でなければ。――
最後に、きみは、思いうかべたか、
ソクラテスの、最後のことばを、
雨の夜、影のように、突っ走ってきた
電車に、きみが、飛び込んだとき。
死の、経緯は、知らない。
だが、人はいまも、二千年前と
すこしも変わらない理由で、死ぬ。
時刻だからね。
もう行かなければならない。
きみも、じぶんに、そう言ったか?
不幸は数えない。死んだ
人間に必要なのは、よい思い出だけだ。

 

  哀歌

首をるせ!
そうして善良な男も、忠実な男も、
惨めな男も、吊るされて死んだ。
そこまでが、昨日の物語だ。
今日は、おなじ絞首台に、
昨日、敵を吊るした
男たちが吊るされる。
戦さに勝つとは、敵の
首をとること。負けるとは、
じぶんの首を吊るされること。
絞首台の男は、天を仰いだ。
「首よ、わたしに仕えてくれた
わが首よ、わたしの首は
ああ、何の褒美も貰わなかった。
利得も、よろこびも貰わなかった。
親切な言葉もかけてはもらえず、
高い位にもありつけなかった。
わたしの首が褒美に貰ったのは、
高くそびえる柱が二本、
それに渡したかえでの横木と、
もう一つ、絹のくくりなわ」
戦さにはふさわしい栄誉なんてない。
到るところに、ただ
物言わぬ死体が転がっている。
それがわたしたちが、歴史とよぶ風景だ。
ペテルブルグの詩人の書いた、
首吊るされた、僭称者せんしようしやの物語を思いだす。
保証のない自由を信じた
詩人は、胸に空虚を抱いていた。
歴史の真ん中に潜んでいるのは空虚である。

 

  カフカの日記より

三日間南へ流れると、三日間北へ流れる
砂の川のそばを、水のかわりに
岩がやかましい音を響かせて
転がる石の川が流れていた。
もう夕方だ。
いったい、ぼくは何者なのか?
ぼくはヘブライ語でアムシェルといい、
母の、母方の祖父とおなじ名前で、
長い白ひげを生やしていた母の祖父は、
多くの書物に埋もれて暮らし、
毎日、河で、冬でも水浴をした。
冬には、氷を叩いて、穴をあけた。
母の母はチフスで、早死にした。
娘の死のため、母の祖母は
憂鬱ゆううつ病になり、食事を拒み、誰とも
口を利かず、娘が死んで一年後、
散歩にでたまま帰ってこず、
遺骸がエルベ河から引き上げられた。
母の曾祖父には四人の息子がいた。
母の祖父以外、みんなまもなく死んだ。
この祖父には頭のおかしい息子と、
やがて母の母になる一人の娘がいた。
剣をもつ天使が、ぼくを見つめていた。
違う。それはペンキを塗った木の人形だった。
ぼくは、窓にむかって走り、粉々に砕けた
木片やガラスのなかをくぐって、
全力を使い切ったので、弱々しく、
窓のしきいを踏み越える。
ああ、カフカさ――ん!
カフカさ―――ん!

 

  あなたのゴーゴリ

一つ間違えば……(原稿はここで切れている)
それで終わり。その先はない。
ゴーゴリがのこした、傑作にして不完全な物語。
第一部だけで第二部以降がない
『死せる魂』という物語のかたちは、
ひとの人生にとてもよく似ている。
ゴーゴリは、手紙に書いた。
文学についてはお話しにならないでください。
文学の仕事が、どんなに多大の繊細さと、
特殊な嗅覚を必要とするか、おわかりですか。
飢えで死ぬことだって何でもないけれど、
無分別で無思慮な作品を発表すべきでありません。
毎時毎分、自分を強制しなければなりません。
毎日、必ず何か書かなくてはならない。
手がそのまま思考に従うようにしておかなくてはならない。
本は永い時間かけて書かれるのだ。
それだけ時間をかけてじっくり見つめる
努力というものが必要なんだ。
これからの時代は、騎士のごとき
熱血たぎる俊敏さを示せ、とは命じない。
古老のまなざしをもって眺めよ、と命じるだろう。
おお、わたしのために祈ってください。
芸術とは人生との和解なのですから!
しかし、厳冬の夜、やっと書き上げていた
物語の第二部のすべてを、
自分の手で燃やすと、
以後、一切の食事を断ち、
ゴーゴリは、そのまま、飢えで死んだ。
ひとの人生はとてもよく似ている、
大団円のない、不完全な物語のかたちに。

(掲載作選出・粕谷栄市)

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