池井昌樹『童子』(2006年7月/思潮社)

著者 池井昌樹
タイトル 童子
出版年月/出版社 2006年7月/思潮社 受賞回[年] 22回[2007年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九五三年香川県生まれ。中学二年の頃より谷内六郎の絵に惑溺、詩に赴く。一九七二年山本太郎の推挙により歴程同人。会田綱雄を知る。詩集に『理科系の路地まで』『鮫肌鐵道』『水源行』『晴夜』(藤村記念歴程賞、芸術選奨文部大臣新人賞)『月下の一群』(現代詩花椿賞)『一輪』など。

[受賞のことば]
  大学に入ったばかりの頃、初めて訪れた「雨ニモマケズ」の詩碑の前で辺りを憚りながら額衝きました。爾来三十年余、詩か否か定かならずも無くてはならない火と水のような、偽りない一篇を得るためにのみ生きて来ましたが、そのような身勝手が周囲に及ぼす迷惑は必ずやばちとなり我が身に報いるだろうと常日頃から腹も括って居りました。此の度の詩歌文学館賞という途方もない御褒美、喜びより先に深い畏れを覚えますが、これを励みに一層の精進を致します。選考委員のお三方、版元思潮社の皆様、有難うございました。

 
[作品抄出]

  天瓜粉

いなかでぼんやりふくらんでいる
わたしをみんなよけてゆきます
いなかのひなたのにおいがする
わたしにみんなまゆひそめます
わたしはまいあさいなかでめざめ
まいにちとかいではたらいて
まいばんいなかにかえってきます
うとましがられはなつままれて
ひとりすごすごかえってきます
たまのやすみのいちにちは
いなかからもうどこにもでない
だれもどこにもいないいちにち
いまもすやすやねむっています
てんかふんなどあてられて

 

  幸せ

乃生のうの鼻という遠い岬の村からバスでくる乃村くんとは、幼稚園からずっと一緒でいまも一緒だ。乃村くんはまいあさうちの前に立ち、まだねむたげにぼくの名を呼ぶ。のむらくんおはよう、ごはんたべてく、と母。はにかんで、でもうれしげに、どっちでも、と乃村くん。じいちゃんばあちゃんとうちゃんかあちゃんねえちゃんぼくと乃村くん。まいあさ一緒にごはんをたべて、一緒に小学校へゆく。しあわせだなあ、ぼくは。
乃村くんのお父さんは近くの市民病院に勤めているから、学校が引けるとぼくらは市民病院に寄る。薬剤室の蛇口から鎖のついたアルミのコップに水を注いで、乃村くんは少しいばってぼくにふるまう。緑の絨毯を敷きつめた不思議なスロープの廊下をころがりおりたりのぼったり。看護婦さんに睨まれたり。それから裏の広っぱで警察犬の訓練を見たり。でも、今日はなんだかつまらない。いつもたのしい病院が今日はちっともたのしくないのは、母が入院しているからだ。帰ってもいつもの母がいないからだ。
ほんとういえばいちどだけ、こっそり母に会いにいった。病室の扉ひらけばむしあついあまいにおいがたちこめていて、あら、ぼくがきたわよお、あちこちおばさんたちの声。ややあって、ひとりできたの、あの母の声。ぱいなっぷるやみかんのかんづめ。ゆめみたい。うっとりするまもあらばこそ、なおるまで、きちゃいけないよ。それからはもう会いにゆかない。まだ暮れ切らない空の下、ひとりしょんぼりあそんでいる。ふしあわせだなあ、ぼくは。
肩をすぼませすごすご帰ると、戸口から明りがもれて、ことこととをきざむ音、煮炊きするやさしいにおい、ただいまと呼べばおかえりとむかえてくれる妻の笑顔、生意気盛りのむすこども。それはしあわせなのだけれども、それにしても、とぼくはおもう。乃村くんはどうしたかしら。いつになったら母は帰ってくるのかしら。
父も逝き、いまは故郷にひとりの母は、電話口からかぼそい声でいまがいちばんしあわせだよと、くりかえしそういうのだけれど、それにしても、とまたぼくはおもう。もういちどだけあそこへゆきたい。いくらしかられたっていい。まだ暮れ切らない空の奥、ひとりできたの、だれかの遠い囁きがして――。

 

  渡り廊下

きいろいかべのわたりろうか
わたりろうかがしずかです
あのしみもあのひびわれも
みんなわたしをみています
こつこつととをたたくあめ
とのもをあめがふりしきり
しろいちいさな王冠が
あとからあとからあらわれてきえ
わたしはひとりながながと
よこたえられているのです
わたしのあたまはさきへのび
さきのほうではおふろばに
せんたくものをほすひとの
さびしいうたがきこえます
さびしいはるのこいのうた
わたしのあしはあとへのび
あとのほうではおぶつまの
ほかげがくらくゆらめいて
だれかおおぜいみおろすけれど
それがだれだかわからない
こつこつととをたたくあめ
いつまでもふりしきるあめ
わたしのいないふるさとの
わたりろうかがしずかです

 

  おつきさま

いってらっしゃい
いってまいります
ながらくおせわになりました
それからひとりうちをでて
それからそれからどうしたかしら
ことしもあきのはながさき
ことしもあきのむしがなき
うちのまどにはひがともり
いただきますのこえがして
それをだまってきいている
いまもだまってきいている
あんなところにおつきさま
おやすみなさい
(ありがとう)

 

  竹似草

(あれからずっと?)
(こんなところで?)
(いまもひとりで?)
夜来の雨に
桜はのこらず花落とし
ぼくらも家路をいそごうとした
その辻に
季節はずれの虫売りが
鈴虫だろうか
よく澄んだ音をひびかせていて
だれもがみんないぶかりながら
けれどもみんなふりかえるのだ
アセチレンの灯に照らされた
うつむきがちのよこがおを
(あれからずっと?)
(こんなところで?)
(いまもひとりで?)
まつりのあとのくらい夜道に
ぼくらのむねに
いつからだろう
そよぎつづけるたけにぐさ

 

  ほんとうは

わたしたちみなほんとうは
とてもとおくにいるのでないか
とおくに澄んでいるのでないか

わたしたちみなほんとうは
ゆめをみているだけではないか
ゆめみられているだけではないか

ゆめをみながらゆめみられながら
ときどきないたりわらったり
ただそうしているだけではないか

たとえばくれゆくそらのおく
たとえばきぎのこずえのこずえ
わたしたちみなほんとうは

ゆめをみるものゆめみられるもの
そのめとめのあうふとしたしじま
あんなにあんなにとおいほしぼし

(掲載作選出・八木幹夫)

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