安藤元雄『わがノルマンディー』(2003年10月/思潮社)

著者 安藤元雄
タイトル わがノルマンディー
出版年月/出版社 2003年10月/思潮社 受賞回[年] 19回[2004年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九三四年三月十五日東京生まれ。東大仏文卒。『水の中の歳月』
(高見順賞)、『夜の音』(現代詩花椿賞)、『めぐりの歌』(萩原朔太郎賞)などの詩集のほか、エッセーに『フランス詩の散歩道』『フーガの技法』など、翻訳にボードレール『悪の華』、グラック『シルトの岸辺』などがある。

[受賞のことば]
  詩はいわば逃げ水のように、どこまで追っても捉えられないのではあるまいか。こちらの目にはたしかに水のひろがりが見えているのに、理屈ではその映像に実体がない。だから遮二無二追いかけたりせずに、自分にそれが見えるという事実だけを黙って受け入れた方がいい。そんなことがこのごろ、いまさらのようにわかって来た。
 今度の詩集では、そうやって自分の目や記憶に浮かぶものだけを、虚実を問わずに言葉に定着させようと試みた。それが詩というものの普遍性への、きわどい通路だと考えたからである。

  
[作品抄出]

  わがノルマンディー

私のノルマンディーはれたチーズと密造シードル
村の旅籠はたごの昼食に出る小粒の泥臭い牡蠣かき
食堂の天井に吊った鼠よけの板の上に
日もちのする田舎パンが載ったまま忘れられ

私のノルマンディーは茶色まだらの巨大な牛ども
ゆるやかに傾く野の道を  従順らしく
白い歯の子供たちに追われ追われて
尾を振り  ときには啼き声をあげながら行く

私のノルマンディーはを浴びた僧院の廃墟
それへ向かってゆっくりと川面かわもを揺れる渡りのはしけ
青空に映える真っ白な石材  その曲線が途中で折れて
川上からは双生児ふたごを載せた筏も流れてこない

森を抜けるといきなり崖のはな  その先は海
水の彼方に落ちる太陽がぽたぽたとしずくを垂らし
あたりの陸地はすでにかげり  沖合だけがなおも明るく
しかし間もなくすべてが闇に没するさだめ

詩人の名  音楽師の名も  いまは街路に残るばかりで
私のノルマンディーは舟底天井の木造教会
どこか遠くの石造りの鐘塔を夢に浮かべて
古い港の一角へ  ムール貝でも食べに行こうか

  

  聖女の首

間もなく刈り払われる枯れ草が
いまはまだ細々と歌っている
間もなく吹き散らされる白い煙が
いまはまだうっすらと立ち昇る
こんな街はずれの景色ばかりを
飽きもせずに眺め暮して
いつになったらおれたちの出番が来るのか
いつか来るとして  それまで待てるのか
背後の街では窓という窓を釘で打ちつけ
すでに火を絶やし  水も干上がり
この世に生き残った飼い犬たちと
この世に生き残った飼い主たちがうろつくだけだ
朽ちて行く羽目板の割れ目から
巣をくっていた虫の群れが飛び立つ
石畳が傾く
このあたりでオルゴールなどが聞こえたこともあったっけ
花を盛ってあったに違いない小さな鉢が
拾う人もなく転がっている
血の涙をこぼしていた聖女の首が
片頰をえぐられて天を見上げる
この区域はいま  立ち入り禁止
その有刺鉄線も垂れ下がったままだ
耳のためには何もない  と書いてはみたが
ここにはたぶん  沈黙もない
私語をかわそうとするささやきもない
流れるのは雲の下の枯れ草の歌
目に見えない風の冷たさ
それだけだ  たったそれだけだ
砕けた石に足をとられてよろめくとき
遠くを電車のようなものが音もなく滑って行く

  

  花

すべての枝に白い花を噴き上げたとき
木は  二まわりほど大きくなったように見える
雪を残す国ざかいの山なみよりも
なお高々と舞い立つように見える
おもを上げ
袖をひろげ
蓬髪をかすかに揺らせながら
それでも鎮まるまいと羽ばたくように見える
あるいは  途方もなく遠い時の底から
ことわりもなく呼び出された魂が
問いに答えずふたたび眠りに沈むべく
その場にうずくまるようにも見える
まもなく花びらは地に散り敷き
水は流れ
枝は葉むらに変って
その重みでしなだれるにちがいない
そのころには  私はもうここにいない
遠い道を行かなければならないからだ
国ざかいへ向かうか  それとも引き返すか
いっそ地の底へ垂直に降りて行くか
かつて  陽を浴びた枝々に真っ白い花が噴き上げていた
そういう木のある里があった  という
想いだけを痛みのように身にとどめながら

  

  手あぶり

夜の奥の灰の底の  ほのかなうずみ火へと
かじかむ指をかざしたとき
それは  手を暖めるためだったのか
それとも  その  よるべない
たった一つ残った火種を
吹き消さぬように守るためだったのか
いずれにしても  そのままで
静かに息が凍えてゆく

てのひらにさからわない
小さな小さな乳房の重み

  

  風のむこう

これほど風のすさぶ土地にも
そこを故郷とする人がいる
風はなだらかな裾野を吹きおろし
そこを過ぎてもっと遠くへ
砂埃にけぶったまま果てしなくひろがる野の方へ
とめどなく押し出して行く

だから人は  野の果てから故郷へ帰るには
いつも風に逆らわねばならなかった
機関車は闇に火の粉を散らさねばならなかった
帰ったからといって  風と水と石くればかりの
広い河原が待っているしかないのだが
それでもそこは  人が若かったころに  ひとり
遊び暮らした幸福の場所であるには違いない

風はいまも変らず渡って行くが
その風の奥に  あのころにはなかったけやきの並木道が
ムクドリを賑やかに宿らせる
新しい道路が開かれて
樹木がみんな伐られたことを嘆いた人は
その重く繁る並木の下を  さて  どんな思いで歩くだろうか
それとも  河原に近い松林の
もっとずっと高い枝に風が鳴る方を好むだろうか
あわせの腕を組んで  遠くを見て
どこへもう  ほかの行くところさへありはしない  と
悲しげにつぶやくだけだろうか
そうつぶやくことができるうちはまだしもよかったのだが

そう  人はつまり無用の存在だった
高名な医師の家の愚かな息子
遠い国の調べを追って  浮かれ歩いて
一銭で売るべき無用の本を書き続け
何かをしようとするたびに追い詰められて
岸辺から追い落とされんばかりだった
だが  おのが一生を敗亡と断じたとき  人は
それをただの過失だったと  本当に信じたのか
父の墓前に首を垂れ  世の人々に謝罪する
そうなれば  あとは湖水まで坂を駆け降りるほかはない
敗亡の道ならばそのあとも多くの者が辿った筈だ
その長い列がどこまで続いたか
この世の悲惨の味にまみれた新しい詩がいつ生まれるか
その日まで生きていられなかったのは
人の責任だとばかりも言えなかろうに
窓ガラスをひとしきり風が揺さぶり
人気ひとけのない廊下のはずれから
じぼ・あん・じやん!  と時計が響く
まどろむ者の夢の中では
その錆びついた音だけがあとへ残る
じぼ・あん・じやん!  じぼ・あん・じやん!
まるで葬列の音楽じゃないか
まあいい  どうせそんな音しか私たちは残せない
万国の言語を話すという金属の喉のしわがれぶりを
音のまましるしとどめておきさえすれば
そんな狭いところへ追い込まれた何者かが
なおも生き続けるべくそこにしがみつくだろう
歌うのだ  時計  唸るのだ  風
君らの叫びの中にしか  もはや人の居場所はない

風の中で人は孤独だった  どうして孤独でないわけがあろう
孤独なんぞにおちいらぬよう
充分に手を打っておいたつもりでも
その手がことごとくはずれたのだから仕方がない
飢えた者はまだたくさんいる
飢えた者はみんな孤独だ
もう忘れてくれ  荒ぶらずに鎮まってくれ
その青銅の目を大きく見開いて
半世紀あとにまだ負けいくさを続けている者たちを哀れんでくれ

私は今日  小さな荷物をもてあましながら
街のはずれが不意に河原へと落ち込む橋のたもとで
吹きつのる風のむこうを眺めようと瞳をこらす
目路の尽きるあたりから何がくるのか
それとも何もこないのか
目に力をこめればこめるほど風がしみて
涙だか目脂めやにだかが視野を曇らせる
あの欅並木もぼつぼつ葉を散らすころだ
ムクドリはもうどこかへ去ったろう
ここは私の故郷ではないが
故郷へ行けば私もまた孤独でいるしかあるまいな
そんなものを淋しさと呼んでいいものかどうかは知らないが
人はそう生きた  それしかなかったのだ

(掲載作選出・藤井貞和)

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