著者 | 宗左近 | ||
---|---|---|---|
タイトル | 暗然と充 | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 15回[2000年] |
分野 | 詩部門 | 分類 | 選評 |
この賞の事務局より発した全国有識者へのアンケートのお返事は、合計一四二票に達した。お礼を申しあげたい。そのうちの四票までのものを記しておきたい。
辻井喬「わたつみ・しあわせな日日」(思潮社)9票
青木はるみ「火薬」(沖積舎)7票
木津川昭「セントエルモの火」(土曜美術社出版販売)6票
菊田守「白鷺」(土曜美術社出版販売)5票
茨木のり子「倚りかからず」(筑摩書房)4票
粕谷栄市「化体」(思潮社)4票
ここに掲げられた詩集、および掲げられなかった詩集から、選考委員は次の計六冊を候補にえらんで選考の場にのぞんだ。
順不同で列記する。
「わたつみ・しあわせな日日」、「白鷺」、「化体」、徳岡久生「相聞」(思潮社)有田忠郎「子午線の火」(書肆山田)天沢退二郎「悪魔祓いのために」(思潮社)。
このうち、「白鷺」と「子午線の火」は、いわば自然詠。ともに清涼な世界。しかし、自然を動かしている巨きな力が捉えられているとはいえない。
「わたつみ・しあわせな日日」は、この半世紀の日本そのものの精神史を描こうとする壮大な気宇の詩篇。「私は大勢の人を殺し 年をとってしまった」と記し、「だれか〈石よ叫べ〉と言わないのだろうか」と歯ぎしりし、「どうやら私は神を探しに行かなければならないようなのだが」と「あとがき」に記される。悲痛。だが、その悲痛そのものの抉出はない。
「悪魔祓いのために」は、日常のなかの非日常と、非日常のなかの日常との、その自由で勝手な出現と転換の連続。自在な音楽性があって楽しい。だが、どういう何の悪魔の所行なのか。一種のディズニーランド。
「相聞」は、いわば鎮魂の思いが再創出する新しい宇宙の造形。祈念の力強さが眩暈性豊かな世界を展開する。迫力がある。しかし、その迫力の超越性が、ときに読者を置き去りにする。しかし、宇宙への糾問の凄さに感嘆する。
「化体」は、じつに作者の手なれた変身譚の三十七篇。それぞれの発想と趣向に変化があり、幻想と怪奇の短篇映画を見ているような、むろん時に背筋の寒くなるような怖れの走ることのある奇妙な喜びを与えられる。この詩だけのもつ眼力の残酷さがなければ、世界はその実体をあらわさないのか。暗然としながら、しかし、どこかで充たされるような思いも味わう。身内にひそむ一種の復讐願望が喜ぶのであろうか。
選考委員の意見は一致してこの「化体」を選んだ。