著者 | 前 登志夫 | ||
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タイトル | 稀有なる成熟 | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 9回[1994年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 選評 |
近代の歌人の多くは古稀そこそこに命終を迎えた。牧水や赤彦や白秋はいうに及ばず、茂吉も迢空も古稀が限界だった。傘寿を超えてからの秀れた近代の歌びとの歌業というものに、あまり恵まれたとはいえない。
しかも歌びとの成熟は、ほろほろと枯れがれてその境地の澄んでゆくのが、伝統的な老境の至りつく世界だった。ところがこの歌人はいささかも枯淡の境地に澄んではいかない。はげしい批評精神をもっておのれの老というものを手玉にとり、毒づいてみたり揶揄する。老のあわれをうたって同情をえようとするところなど微塵もない。さりとて、逆にふてくされて自嘲するのでもない。
老女にて
おのれ孤りおのれの毒を食みて生き女いささか酔ふことありし
老いたりとて女は女 夏すだれ そよろと風のごとく訪ひませ
天命とならば素直に命終受けむ 素直ならずとも何としやうぞ
老いてなほ
曼珠沙華葉を纏ふなく朽ちはてぬ 咲くとはいのち曝しきること
『秋天瑠璃』に先立つ二歌集『ひたくれなゐ』と『渉りかゆかむ』に、齋藤さんの歌業の到りついた頂点を見たのであるが、この老境の集には、さらにおのずからの軽みが、おかしみをもって滲み出ている。
「あきまへんわ といひてわが歌に棒線をひくときの快感」といった平俗なしらべや、「お
長らくヘルペスに執拗になやまされたらしいが、それとても、「わが神経祝はれゐるやヘルペスの(遠山ざくら)より花ざかり」と奇妙に居直ってみせる。ほろほろおかしがっていると、「境涯詠などとよぶ日常の
「短歌とふ微量の毒の匂ひ持ちこまごまと咲く野の女郎花」なども、苦笑させられよう。「短歌死ぬよりはやくおのれの死は来る こは確なる大きしあはせ」などもしたたかである。
この歌集にも、二・二六事件に連坐した将軍の娘としての現代史の怨念が濃い影を投げている。『秋天瑠璃』は、短歌の世界に老の生き方と艶なるものをたくまずにひらいた、かつてない歌集といえよう。
山の鳥は人に媚びざるすずしさに食ふべきは食ひはや去りにけり