塚本邦雄「みづみづしい円熟」

著者 塚本邦雄
タイトル みづみづしい円熟
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 4回[1989年]
分野 短歌部門 分類 選評

  第十一歌集『月華の節』の主題は、題名の意味する通り月光であるといふ。十二世紀末の「花月百首」以来、和歌はすなはち、花月に寄せる調べであり、現代短歌も、究極は、これを度外視しては成り立つまい。
 ・さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
                       『桜花伝承』
  花の主題は既に昭和五十二年の第五歌集に掲げられ、巻中の引用歌は、馬場あき子の代表作として人口に膾炙してゐる。花の伝統をみづから継ぎ、率ゐ、極めてゆかうとする、この豊かな、しかもすさまじい志は、それ以後の作品に、一入、艶と深みを加へた。ひたすら、迸る心情を、歌ひ、かつ歌ひ続けたのちに、知命を迎へ、命の何たるかに思ひ至つた時、この「月光」のテーマは、まさに天来のものとして、彼女の魂にもたらされた。
 ・月待ちて月待ち飽かぬ伊豆彦の望の夜を来つ雨の夜も来つ
 ・身に久に湧くこともなき鷹の井戸ありて藍濃き星月夜なり
 ・羽黒山ほの三日月もゆつさりと芒にかくれゆく秋は来ぬ
 ・あたたかき冬の月夜の枇杷の花おぼおぼとわれこだはらざれよ
 ・月代を見むとし立てば膝さむし露しんしんと萩も倒れぬ
  月光詠は巻中に必ずしも多くはないが、引用の一首一首、魂魄に徹る冴えが見られ、しかも猶、この月光はあたたかい。修辞の上だけでなく、作者の念々が、大らかに調べの中に漲りそめたのだらう。
  その若書きの頃から、物語調、歌謡調、歌仙調と、蘊蓄の照り翳りを、五句の端々に映してゐたが、思へばこれらこそ、ともすれば瘦せ、殺がれがちな現代短歌の相を、絶えず蘇らせ続けて来た原動力であつた。
 「平家物語」等の朗読なら、現代日本でも筆頭に数へられるこの人は、芸能、殊に能楽でも名を識られる名手の一人であり、短歌作品も亦、これと不即不離に、及びがたい高みを目ざし、深みに到りつつある。円熟といふなら、単に到りついた境地といふよりは、未来に、なほ大きな可能性を秘めた上での、みづみづしい円熟といふべきか。
  引用五首最後の「月代の見むとし立てば」は、「昭和六十二年、秋十月二日喜多実先生逝く」の詞書を冒頭に飾つた挽歌一聯の最初の一首であつた。昭和三十六年、奥伝を受け「巴」を舞つて以来四半世紀、この造詣は、日常の挙止にまでにじみ、和服姿の麗容は、全国津々浦々に知られてゐる。女流才媛少からぬ詩歌の世界でも、抜群の、否類を見ぬ存在であり、年来、光輝を加へつつある。
 ・蘭たまふ秋尽くる日の明るさにほのぼの生きてよき齢なれ
 ・南の紀のみかんむき天命を知る齢さへ少しあかるむ
 ・世のことも言はばいふべき齢きて夏の熊野の雨を見てゐる
  再び言はう、この円熟のみづみづしさを。この、現代短歌の上にふりそそぐ春月光は、母なるあたたかみを秘めて、もろびとに語りかける
「ほのぼの生きてよき齢」となれと。

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