堀場清子「聖水のように<ruby><rb>透明</rb><rp>《</rp><rt>きよらか</rt><rp>》</rp></ruby>な」

著者 堀場清子
タイトル 聖水のように<ruby><rb>透明</rb><rp>《</rp><rt>きよらか</rt><rp>》</rp></ruby>な
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 27回[2012年]
分野 詩部門 分類 選評

  東日本大震災から一年が過ぎても、真っ黒な津波がいっせいに堤防を越え、町に侵入する恐怖の映像が瞼を去らない。なんと理不尽に、多くの命が奪われたことか。残された人々の癒されぬ悲しみが、どれほど深いか。しかも不如意な避難生活に追い討ちをかけるような、この冬の異常な寒さ……。
 日々それらが偲ばれて、暗く圧し潰される想いのなかへ、ほかならぬ被災地から、聖水のように透明きよらかな詩篇の群が滴ってきた。須藤洋平詩集『あなたが最期の最期まで生きようと、むき出しで立ち向かったから』である。
 三・一一の運命の時刻、須藤さんは、南三陸町の自宅を離れ、仙台駅前にいた。「その後の約一週間、故郷の悲惨な情報に耳を傾け、家族の安否を気遣いながら、大勢の避難民と県庁や市役所等を転々とした」と、令兄雄一郎氏の「あとがき」にいう。
 そしてようやく帰りついた南三陸町は、津波によって町の大半が壊滅し、人口一万八千人のうち半数が、亡くなるか行方不明となった悲劇の地。
 廃墟さながらになった町の、疎らに残った家のなかに、なんと須藤さんの家はあった! 家族も無事だった!
  逝ってしまった者たちを追いかける前に、私は生き残ったことを
  確認しあえたあの時の歓喜を思い出すようにしている。
  狂ったように泣き合い、泥をこねるようにして抱き合った歓喜を。
  あの時のことを、私は生涯忘れないだろう。
 病身の須藤さんは、その我身を苛む類の言葉を、詩集中に連ねている。「いつも死に場所ばかりさがしてきた」「うじゃうじゃとむらがる黄色い目玉に背を向けて、/その重たい身体を引きずる様よ!」「周囲に世話をかけながら、迷惑をかけながら」「周囲は私のことを人間扱いしなかったし、/自分でも人間だとは思わなかった」等々。「この化け物!」と、罵られた体験さえ語られている。
 震災後の南三陸町は、「そうしてまた遺体があがる」日々。復旧のためにも、厳しい労働力が要求される。「失意の中、懸命に動く人たちの中」で、人並みに働けない詩人は「身をこごめ」、自己を追い詰めていったらしい。
「『俺みたいな汚れが真っ先に死ぬべきだった』と泣き崩れたことがあった」とも、雄一郎氏の「あとがき」に見える。だがそうした傷痕と苦渋があればこそ、なお生きる「歓喜」の表白が、独自の聖性を帯びてくる。
 大震災に連動した原発の危機の過程で、私たちの社会からは信頼が失われ、不信と不安の暗雲が垂れ込めている。私たちは信頼できる社会を、根底から創り直し、再生させねばならない。
 須藤さんの詩業にきらめき、謳いあげられた、生きることの「歓喜」こそ、その出発点となりうるだろう。この詩集の純粋さと、それゆえにもつ力とを、心から称える。

カテゴリー