著者 | 三木卓 | ||
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タイトル | さらなる空間を示す | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 4回[1989年] |
分野 | 詩部門 | 分類 | 選評 |
候補詩集は五冊あったが、三人の選考者の意見が一致して吉岡実さんの「ムーンドロップ」(書肆山田)を推すことになるまで、時間はかからなかった。
わたしは、吉岡さんのお仕事をずっと丹念にフォローして来ている者ではない。それで「静物」「僧侶」で瞠目した吉岡的世界をその後も垣間見ながら来て、ここで最新刊の「ムーンドロップ」を読むことになった。そしてこのひとがやって来たことの一貫した道筋が、ここまで来てなお、さらなる空間を指し示していることを、わたしは感じた。
わたしたちはこの世界に生きてある間に、自分の外界との関わり方を媒介にして世界の肖像を、なんとか納得がいくように描こうとするものであるが、吉岡さんは、揺れ動いて絶え間なくあてどなくかわっていく日常現実の奧にある、本質的事実の世界にまなざしを注ぎ続けてきた。それは、意味づけなどできない、そもそも意味などありはしない世界であるが、しかし、わたしたちは人間として生きているので、それからさまざまな色や匂いや感触を受け取り、自分なりにある印象を得ることになる。
吉岡さんはそれをかれのやりかたで描ききったのだと思う。かれは生きてきた有限の存在として、視野の対象に対して恐怖と快楽とユーモアを基底とした独特のセンサーを十二分に機能させて、世界の像を描いたのだと思う。
「万物が矛盾的に遍在する」
(
(異化)された(美)
という詩句が、この詩集のなかにあるが、それはわたしには、吉岡さんが自分の言葉に与えようとしているもののように思われる。吉岡さんは、<「光が影からもがき出てくる」>ようにこの世に生まれ出たものとして、生という物質の不思議な状態を愛しているから、喜びも戦慄も含めて、まるごと虚空の下にあるものを美しいものとして言葉の世界に在らしめた。かれは、上記の詩句に続けて、
「太陽にさらされて
(金の骨)が透けて見える
烏賊が欲しい」
と書いている。
以上のようなわけで、わたしは「ムーンドロップ」における吉岡さんの言葉の世界の一層の深まりと充実に感銘を受けると共に、これを詩歌文学館賞に相応しいものとして推した。吉岡さんに受けていただけなかったのは、返す返すも残念である。