岩田正「うたびとの精神史」

著者 岩田正
タイトル うたびとの精神史
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 11回[1996年]
分野 短歌部門 分類 選評

  自らの思いを心を、そして姿形を歌って、それがその時代の、人のトータルな思いや心や姿形を、歌い得ているなら、その歌々は十分現代に生きうる歌、評価される歌と言ってよいと思う。『草木國土』一〇五〇首はそういう歌だと思う。
  しかし、そのような歌は、人生の過ぎ来しを背景にもっているはずである。さまざまな人生の紆余曲折やかなしみなどの累積が、その背景にあってこそ、はじめて至りうる境地と言ってもよいだろう。
 
  いくたびも名を呼びしとぞマイクにて
    呼ばれしといふわが名さびしも
  自が顔を大写しにせる口絵あり
    錯誤のごとく雑誌出でくる
 
  作者はひとつも威張っていない。わざと謙虚を装ったりもしていない。だがここには、自己というものを、その実体というか本当の姿を、一度客観的な存在として認識し、その上でもう一度、ふかくしっかり見詰めるという、実に真摯な形での自己凝視があると思う。
 
  ながらへて爆心を訪へるうつしみは
    四十年後の雲を仰ぐも
  はつなつの舗道に影を落しゐる
    祖父といふ人われにあらずや

 「ながらへて」とさりげなく歌う詠嘆には実は無限の思いがこもっている。四十年前の雲、そして今の雲、流れ去った歳月への思いが流れている。作者は自分を、いつもかなりひかえた形で歌う。そのひかえた気分に、懸命に生きてきたけれど、所詮拙なく消極的にしか生きて来れなかったという、嘆息が流れているのであろう。
  昭和初期に生れた作者は、十代で戦争を具体的に体験している。自分自身の気持で、軍にも参加したことを、そして軍が敗れたことを、怒ったり、悲しんだり、あるいはそれをよしとしたりするという思考とは、全く無縁の、実に誠実なうけとめ方でうけとめている。つまり第三者的でなく、つねにわが身の問題として、もうすこし極端に言うと、自分の心と肉体感覚で、戦争体験や敗戦をうけとめている。それは『草木國土』ばかりでなく、今迄の六つの歌集に大きく流れる、作者の精神史といってもよいであろう。そういうところから歌われた、現実批判というか文明批判には、実に激しいものが感じられたりする。

  折折によみがへる古き軍歌いくさうた
   「ああ浮薄なる人のこゑ」
  偶像アイドルになりたしといふ愚かなる
    少女の顔を愚かに映す

  こういうかなり作者の気分をおもてに出した歌も歌われている。作者のそうした精神史によってはじめて歌われえた歌と言ってよい。

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