須永紀子『空の庭、時の径』(2010年4月/書肆山田)

著者 須永紀子
タイトル 空の庭、時の径
出版年月/出版社 2010年4月/書肆山田 受賞回[年] 26回[2011年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九五六年東京都渋谷区生まれ。中央大学文学部卒業。八二年に個人誌『雨期』を創刊。現在五六号。詩集に九八年『わたしにできるこ
と』、二〇〇二年『至上の愛』(ともにミッドナイト・プレス)、〇六年『中空前夜』(書肆山田)などがある。

[受賞のことば]
  わたしたちは現実を生きながら、もう一つの世界を生きています。自身の内的な世界、特別な記憶などで構成された大切な場所です。二つの世界を行き来することで、ひとは精神のバランスを保っているのではないでしょうか。身内の死を契機として成った詩篇です。死は悲しみだけでなく、それまで見えなかったものを露わにします。その圧倒的な力に抗うように、自分の内なる世界を構築していったように思います。拙い詩集を認めてくださった先生方、読んでくださったすべての方に心よりお礼申しあげます。

  
[作品抄出]

  夏の旅

週刊誌と冷凍みかんを買って
列車に乗り込んだ
チョコレート色の外房行き
よそゆきの服は
ツルミ用品店のぶら下がり
クーラーがかかりハワイアンが流れ
レイをかけたマネキンのいる
常夏の店
そこで選んだ一枚が
その夏、母の定番になった

みかんは溶け
スターのグラビア・ページもめくり終え
両国を過ぎたあたりで
ずいぶん遠くへ来たような気がして
わたしは心細くなってくる
父も従姉妹もそばにいるが
この心細さを消すことはできないと
八歳のわたしにはわかっている

  
海辺の駅から
ボンネットバスに乗った
ベンチのある雑貨屋で
わたしはコーヒー牛乳を
妹はフルーツ牛乳を飲む
小さな蟹の群れが横切り
その影が長く伸びる道
軍艦のような工場があって
火薬を作っているのだと
誰かが小声で話している
叔母の家はそのすぐ先
パーマで髪をふくらませた
六〇年代の母が
いそいそと歩いてゆく

  

  星の下で

生まれて間もない足で
地面を踏みしめたとき
世界に高さが加わった
積みあげられた干し草
窓の外の三日月
彼方でスイッチが入り
見られる者になった

  
扉がひらかれて
温かな陽ざしの下
爪先を横切っていく虫たち
立ち止まるわたしを囲む
トウカエデ、シイ、ハルニレ

  
収穫物のない冬日
犬のように干し肉を喰らい
満たされず祈りも忘れた
わたしを照らす
厨辺の火

  
ことばを覚え
スイッチについてわたしは
考えることになるだろう
見る者であり見られる者として記す
そのように書かれた本を
くりかえし読み
やがて気づくだろう
もう一つの眼に照らされていた
日々のことなど

  

  旧市街  Ⅱ

瓦礫をかきわけて
残った者がひとりずつ
姿をあらわす
昨日とちがう日暮れがやってきて
システムが死に絶えた工場の
地下へと降りたわたしたちは
新しい街を夢見て
穴を掘り、掘り進む
星のない夜だ

  
雑嚢を枕に
一冊の本をひらく
あまりにも美しい物語なので
目をあけていることができない
誰にともなく言って
濡れた目を閉じ
代わりに賢い猫の
長い話を聞かせるが
きみたちは途中で眠ってしまい
猫の賢さを証明できない
暗闇のなか
わたしは再び本をひらく
紙の質感と温かみ
活版文字の手触り
遠いインクの匂い

  
フェアな陽光がふりそそぐ朝
瓦礫の丘に立ち
じきにやってくるだろう侵入者を待つ
仮想の日常に生きるわたしの上を
今日も透明な厄災が通過する

  

  旧市街  Ⅲ

修復された街。
細かくちぎられ
再び貼りつけられた写真の
失われた輪郭を戴く
安息の旧市街。
薄く老いた影が
共同墓地を横切り
古い友人たちとすれ違い
セント・ジェームズ病院の一室で
生誕の日を迎える
密かにヒトの態をなし、立ちあがり
遅い祝福がとどいた朝
生まれたままの魂と
記憶を持つことのない人々が住む
辺境をめざして
新しい影が
足を踏みだす

  

  伝言

手擦れのある黒い本
後れて来た男たちが丘に並び
木のことば、石のことば、風のことばで
去った者を呼びもどす
よく似た四つの物語の
差違を探して
繰られたページの折りあと
契約の在処を隠す
鶉色のしみ

  
鳴らない鍵盤を持つピアノと
Cではじまる作曲家の楽譜
〈ゆっくり〉〈激しく〉
先生の書き込んだ文字が
半世紀を経てなお
鋭い声を放つ

  
遺されたものに
もの以上の意味をもとめて
行き暮れるひと
今もわたしはこの部屋に居て
紙上の湖水地方を旅し
狂ったピアノで
憂国のポロネーズを弾いています

(掲載作選出・財部鳥子)

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