新川和江『けさの陽に』(1997年6月/花神社)

著者 新川和江
タイトル けさの陽に
出版年月/出版社 1997年6月/花神社 受賞回[年] 13回[1998年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九二九年四月二二日、茨城県生れ。結城高女卒。西條八十に師事。『季節の花詩集』(六〇年)で小学館文学賞。『ローマの秋・その他』(六五年)で室生犀星新人賞。『ひきわり麦抄』(八七年)で現代詩人賞。他に詩集『はね橋』など。

[受賞のことば]
  一篇の詩、一冊の詩集が成った段階で、詩を書く者の労苦は十分に酬いられています。その上に賞という光を当てて頂くことで、多くの人々の目にとめて頂く機会が与えられるのは、詩にとっても作者にとっても、冥利に尽きるものです。選考委員と、関係者の皆さま方に、あつくお礼を申しあげます。
  集中、俳句による詩的ヴァリエーションの連作は、私のはじめての試みですが、御作の使用をこころよくお許しくださいました「狩」の鷹羽狩行氏、また折々に作品を掲載してくださいました詩誌と新聞、版元の花神社に深く感謝いたします。

 
[作品抄出]
 

  シーサイド・ホテル

あんなに塩からい水のなかに棲んでいたのに
いけづくりの鯛の刺身の仄かなあまさ

海中で死に
いくにちも波間に漂っていた魚を
食べたことはないが
それはきっと
きつい塩気が舌を刺すのにちがいない
鰓が動きを止めた瞬間から
魚の体内への
海の浸蝕がはじまるのであろうから
ベッド・サイドの灯りをつけておくと
光がとどくあたりまで
海はおとなしく退いている
だが  スイッチを切ると
機会おりを狙っていた巨獣のように
海は闇ごと  どっと雪崩れこんでくる
潮騒が室内に充ちる

わたしの肉は
まだ  少しは  あまいだろうか
それとももう  かすかに塩あじがしているか……

釣りびとのはり
神の菜箸さいばしもとどかぬ昏い海の底で
ひとり  身を横たえている夜

  

  

  丸めた古毛布の上に、よれよれの戦闘帽をかぶせたような風体の
おとこ。旋盤工であったか検査工であったか、男は、私どもの学校工場に親工場から派遣された十数名の工員のうちのひとりで、直接の指導員ではなかったから、私ども女学生は、一度もかれと言葉を交わしたことが無い。
  日の丸を中心に〈神風〉と染め抜いた手拭いの鉢巻を、眉がつりあがるほどきりりと締めて、私どもが機械と取り組み拵えていたのは、特攻機の心臓部をなす重要な部品ときかされていた。一定量出来あがると、二キロほど離れた松林の中にある親工場に納品する。トラックはおろかリヤカーさえ無い始末であったので、私どもがそれぞれに持ち寄ったぼろ風呂敷に一個ずつ包み、両手に提げて運んで行った。気化器とよぶ軽合金製のその部品を取り付けた特別攻撃機に乗り込み、片道燃料で基地を飛び立って行く航空兵が、さして年齢のちがわぬ若者であることを思うと、私どもの足どりは重く、両手に提げた物体も次第に持ち重りがしてくる。いわばかれらの死を、恋人かやがては妻にもなったであろう私どもが、運んでいるのであった。それかあらぬか包みの中のその物体は、ちょうど人間の頭蓋骨の形態をしていた。
  かじかんだ手に切ない思いを一緒にぶら提げた女学生の一群が、雪がまだらに残った田の中のいっぽん道を黙々と進んで行くのを、古毛布の男が、職員用男子便所の明り窓か、渡り廊下の端あたりから見送っていたこともあったろうが、どのような目付で男が眺めていたかは、知る由も無い。昭和二十年の冬も過ぎ春も終り、そうしてあの、八月十五日がやってきたのだった。
  正午、炎天下の校庭に整列して私どもは、奇妙なイントネーションの玉音放送なるものを聞かされたあと、礼法室に集結して指示を待つよう言い渡された。雑音入りの放送の内容は、私どもにはよくのみこめなかったが、この国がどんな事態に立ち至ったかは、休憩時間が過ぎても工場内のモーターが作動しないことや、ひっきりなしに鳴っていた空襲警報が、その朝からハタと止んでしまったことからも、推測出来た。
  一億玉砕。戦争に敗けたからには、国民はひとり残らず死なねばならない。まもなく担任の教師がやってきて、どのように死ぬか、その方法を指示するのだろう。そのために選ばれた、校内で唯一の畳敷きの教室、礼法室であるのだろう。だが、教師はなかなかやってこず、私どもはなすすべもなく正座して、滂沱と涙を流していた。
  校庭を開墾して下級生が植えた南瓜が、礼法室の窓下まで蔓を伸ばし、繁茂していた。緑の葉に照り返す午後の陽が、泣き疲れた目に眩しかった。むっくり、起ちあがる人の気配がして、南瓜を一個、左手に高々とかざした男が、こちらに向かって笑いかけてきた。「敗戦祝いだ、ねえ!」。古毛布の男だった。まったく目立たぬ存在であったあの男が、顔じゅう笑いでくしゃくしゃにして、陽を照り返す葉っぱよりももっと輝いて、弾んで、そう言ったのだ、「敗戦祝いだ、ねえ!」と。
  窓側にいた級友たちは一斉に批難の目を向けたが、私はただもう吃驚びつくりして、男の顔を見詰めていた。日の丸に神風のヘッド・ギアを外した額を、男の言葉は真新しいドリルのように刳り貫いていった。そういう受け止め方、考え方もあったのか……。泣き呆けている礼法室の女学生をよそに、校庭の隅で、南瓜を煮る大鍋を囲んだ工員たちのドンチャン騒ぎがはじまった。
  五十年たった今も、つい昨日耳にしたばかりのように私は、男の声を思い出す。純粋とはいうものの無知でしかなかった女学生の私に、ものについての考え方の多元性を教えてくれた男、その時点での私には想像すらし得なかった、民主主義という新しい時代がはじまる、その突っ端で聞いた、あの男の声を。

  

  けさの

キクさんときくさん
はからずも
同じ名前の夫人の訃報が
朝刊に並んで出ている

ひとりは
宇宙開発技研所長○○○○氏の妻で  三十九歳
ひとりは
大日製粉常務取締役○○○氏の妻で  五十七歳

死が
ひとつうつわに盛り合わされている

明日の告別式に
盛り添えられる黄菊白菊が
どこかの花圃で
夫人たちより一日多く生きのびて
朝露に濡れ
けさの陽にかがやいている

わが家の食卓にも
午前八時の同じ陽が斜めに差し込んでいて
牛乳をのみ了えたコップや
こぼれたパン屑にも  明瞭な影をつくつている

  

  除夜

  厠より行きしばかりの年を見て      狩  行

寛永寺かんえいじの鐘も鳴り終った
百八つの煩悩を払うために撞かれるという鐘の
その百八つ目とは
どんな妄念なのかしらと  考えつつ鐘の音に聴き入るうちに
炬燵でつい  うとうととしてしまったが

厠に立つと
小窓のそとの植え込みに  ものの動くけはい
細めにあけて窺うと  暗がりに
去年とも今年ともつかぬ時間が佇んでいて
いいのか、と言う
行ってしまっていいのか、と

裏口からこっそり帰る密男みそかおのような
立ち去り方をしようとするのは
決着をつけかねている事柄が  わたしにまだ有る年だからか
それとも単に  そのような狭い場所から
覗いているので  そう見えるだけのことか

表門から入ってきて
庭を浸しはじめた新年の白いひかりの中
すでに去年は  ますます影をうすくしながら
裏木戸のところで振り返り
じゃ、行くよ
行くからね、と言う

  

  お

「マレー半島のセノイ族はね
  夢でおごられると
  つぎの日早速おごり返しに行くんですって」
レストランで
彼女は笑いながら伝票を自分のほうへ引き寄せる
「だからきょうは  わたしに持たせて」
私は昨夜  彼女の夢の中で
エスニック料理をたっぷりご馳走したのだそうだ

それなら今朝けさがたどっと咲いた
この桜は  だれへのお返しなのだろう
ひと足先に店を出て
満開の並木の桜を私は見あげる
くろい幹は夢の中で
一体だれに  花らんまんのもてなしを受けた?
「あの世で返す  返して貰う  という約束で
  お金の貸し借りをする部族が
  あるって話を  いま思い出したわ」
支払いをすませて出てきた友に私はいう
ふふ  あの世
ほほ  この世
ここはどっち?  二人ははしやいで歩いて行く
これはこれは――の花の道を

(掲載作選出・高橋順子)

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