高橋睦郎『姉の島』(1995年8月/集英社)

著者 高橋睦郎
タイトル 姉の島
出版年月/出版社 1995年8月/集英社 受賞回[年] 11回[1996年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九三七年一二月一五日、福岡県生れ。福岡教育大卒。『王国の構造』で藤村記念歴程賞、句集『稽古飲食』で読売文学賞、『旅の絵』で現代詩花椿賞受賞。

[受賞のことば]
  詩を書くことは怖ろしい。今度こそは書けないのではないかといつも胃が痛くなる。『姉の島』は雑誌に一年間連載したからこの恐怖を十二回、本にする時と併せて十三回味わったことになる。その結果出来上がったものは作者として不満だらけだが、発想以来二十数年間の緊張からの解放感はある。今回の受賞を、生きている姉、死んだ姉、生まれさえもしなかった「姉」とともに素直に喜びたい。そして、明日からはまた、新しい恐怖に向かわなければならない。本当に書けなくなる日まで。

 [作品抄出]
      1               パラソルの舟

 

はじめにねえさん  あなたがいた
開ききった  大きな花のような
後ろ向きのパラソルが  あなたの顔
いや  本当の顔は  胸も  肩も
パラソルの向こうがわにあって
ぼくからは見えない
見えるものは銘仙の着物の裾と
黒塗の下駄を穿いた  細い脚のかかとだけ
ぼくから見えないあなたの顔は
遠い  眠たい水平線
空と海とが奪いあう  にじむ光の一線に
何を見ているのか  いないのか
その放心は突然  取り落とす
それまで仮の顔だったパラソルを
それは  本当の顔をぬすみ視る好機だが
ぼくは  のがしてしまう
砂の上に落ちたパラソルに驚き
気を取られてしまうので
落ちて  上向きに返って
パラソルは  舟になる
あらゆる方角にともとがあり
中点に帆のないほばしらが立つ
円形の  奇妙な舟



だが  パラソルの舟は舟出しない
同じ時にすべての舳が  すべての艫が
すべての方角に走ることはできないから
帆のない檣が  檣の無の帆が
どんな風を孕むこともできないから
砂の上に坐礁して  風化して
そのまま  神話の海岸線に
切れ込みの深いパラソルのふちそのまま
ひだの多い  入江に富む  眩しい海岸線
なかんずく七つの襞  七つの入江
名付け伝え  呼び慣らわして  宗像七浦むなかたななうら
七つの浦のその一つ  神のみなと
そのけぶる沖には  三つの島影
三つの島影は三人の姉たち
砂の上の一人の姉はいつか消え
三人の見えない姉たち  その影に
第一の姉は目路めじのはるかにそそり立つ島
そこは  すべての波が競い向かう海の坂
急ぐ波たちが競いあって  匿すので
そのうねり  高まりの彼方にも  見えない
第二の姉は横広く平らな島
揺れる波の  波間に近く浮かぶが
揺れきしむ定期船で渡ることも
家並の迷路  畑の迷路を抜けて
切崖きりぎしから  第一の姉を望むこともできるが
きびすを返せば  たちまち
第一の姉も  第二の姉も  いない
そして  第三の姉はどんな島?
その島はこちら岸のおかの中にあって
――こちら岸は  むなしいかた――
あらかじめ到れない島
三人の姉たちは見えない
見えないけれども  在る
姉は弟の姉――姉がいなければ
姉の弟はいることができないから



ぼくは舟出する
パラソルの舟が舟出しないので
ぼくじしん  舟になって
だが  パラソル  ではなく
大きすぎる蝙蝠傘を
たたんで  携えて
ぼくは胞衣えなの繭を出たばかりの
首の骨の定まらない弟だから
たたんだ蝙蝠傘を杖に  擢にして
一寸法師の御器ごきの舟さながら
だが  目指すのは都でも
宰相の姫ぎみでもなく
姉たちを  姉たちの島を捜して
うしお渦巻く  道のない海の最中もなか
ぼくは  舟出の  臍帯へそのおともづなを切る
ぼくの存在の根拠  姉に
姉たちに向かって

はじめに  姉があった

 
 
 
 


パラソル  太陽(=sol)から皮膚を守る
 (=para)用具。多くの場合、華やかな模
  様を持つ布日傘。筆者には幼年期の記憶の
  中の婦人なるものの像と分かちがたい固定
  観念があり、旧作「死海」「睡蓮」にも登
  場。なお、宗像には胸形の表記も。ならば
  胸肩もありえよう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


パラソルの縁  福岡市海ノ中道から、宗像郡
  神湊こうのみなとを含む旧宗像神郡領しんぐんりよう宗像七浦を経
  て、北九州市若松区岩屋いわやはなに至る海岸線
  を「パラソルの縁」に喩える発想は、当海
  岸線宗像郡福間ふくま花見はなみ在住の『漂流物の博
  物誌』の著者、石井忠氏の教示に負うてい
  る。
 
 

三人の姉たち  田心姫神たごりひめのかみ湍津姫神たぎつひめのかみ市杵いちき
  島姫神しまひめのかみ。なお三女神と宗像三宮の対応関
  係は歴史的に一定していない。
 
 
 
そそり立つ島  沖ノ島。宗像神社沖津宮おきつみやが鎮
  座。神湊から直線距離五七キロ。玄海灘ただ
  なかの周囲四キロの島。沖ノ島祭祀遺跡で知
  られる。
 
 
横広く平らな島  大島。宗像神社中津宮なかつみやが鎮
  座。神湊の西北約一二キロ、周囲約一五キ
  ロ。本村ほんむら宮崎みやざき岩瀬いわせ津和瀬つわせの四区に分
  かたれ、岩瀬浜近く沖津宮遥拝所がある。
 
 
 
 
 
 
 どんな島?  田島は名こそ島だが、じつは神
  湊より内側、内陸にある。宗像神社辺津宮へつみや
  が鎮座。なお、宗像の語源説の一つに虚潟むなかた
  説があり、古代の田島一帯はラグーナをなして
  農作に不適だった、という。
 
 
 
 
弟の姉  「あね」は古くは「おとうと」と、
  のちには「いもうと」と対称する。(中略)
 〔説文〕に「女兄なり」とあり、もと尊称
  として用いた。(中略)古く斉に長女を巫
  女とする俗があった。――白川静『字
  訓』。汝三いましみはしらかみみちなかくだして、
  天孫あめみまを助け奉りて、天孫の為に祭られよ。
  ――『日本書紀』巻第一神代上第六段一
  書。いわゆる天孫降臨に際して天照大神か
  ら宗像三神になされた命令、または依頼。
 「天孫の為に祭られよ」の表現に注意。こ
  の場合、天孫を弟的、宗像三神を姉的存在
  と捉えることもできる。
 
 
 
 
 
 
胞衣の繭  真床追衾まとこおふふすまを以て、皇孫天津彦彦火すめみまあまつひこひこほの
  瓊瓊杵尊ににぎのみことおほひて、あまくだりまさしむ。――
 『日本書紀』巻第二神代下第九段。
 
 
御器の舟  住吉の浦より御器ごきを舟としてうち
  乗りて、都へぞ上りける。――御伽草子
 『一寸法師』。
 
 
 
  
 
 

臍帯の纜  へその緒は人の運命を支配するの
  で、大切に保存しなければならない。――
 『イメージ・シンボル事典』navelへそ、ほ
  ぞ。

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