井川博年「ビート詩の最高峰」

著者 井川博年
タイトル ビート詩の最高峰
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 28回[2013年]
分野 詩部門 分類 選評

  近頃、こんなに生き生きしている詩というものを、読んだことがない。
 手のひらに乗るくらいな小さな本。しかも通し番号を打たれた、切れっ端のような短い詩が全部で22篇しかない詩集。
 そんな『ジャズ・エイジ』からは、カッコいいジャズの話と裏腹に、中上さんがボソボソと語る、ユーモアたっぷりの辛口の貧乏話が聞こえてくる。それが何ともいえず、楽しくおもしろい。
 語られるのは、中上さんの自叙伝だ。「序詩」にある、一九六〇年代、渋谷や新宿のジャズ喫茶を漂流し、夜は安酒場で苦い酒を呷っていた「わたし」は、「ギンズバーグという毒入りハンバーグを齧ったので」、ビートニクになるしかなかった、というのが、詩人の出発点。
 東京の四畳半の下宿にくすぶって、映画「真夏の夜のジャズ」にしびれ、マイルス・デイヴィスのトランペットに聞きいっていた大学生は、アメリカ大陸横断鉄道ならぬ、『下り列車窓越しの挨拶』(第一詩集のタイトル)で、大阪まで行く羽目に。その後も目茶苦茶。
 ビート詩人を真似て、「路上派」を名乗り、全国を朗読して廻ったり、広告屋となり働いて家族を養い、アメリカの大学に呼ばれてアイオワまで行ったり、帰ってからはケルアックやブローティガンの翻訳をしたり、少しだが大学で詩を教えたり、それからそれからと、アメリカ文学とジャズの思い出は尽きない。そうこうしているうちに、年よりになってしまった。これが中上さんの現在なのだ。
 そして今は、「わたしの葬儀にはジャズを流してくれ/とびきり陽気で滑稽な奴を/なんて人生だったのだと/げらげら笑いながら河を渡って行きたいので」と葬儀の手配までして、最後は、自分で勝手に戒名まで付けてしまった。
「すべてはスピードの問題である」とジャン・コクトーはいったが、その通り。
『ジャズ・エイジ』は全編ゆっくり読んでも15分で読み終える。これが中上さんが狙っていたビートの詩の神髄である。作者の意図は見事に成功している。またこの詩集は、所々にアドリブを入れる即興詩の要素もあり、長編を一気に読む朗読詩でもある。どういう読み方をしてもかまわない。ジャズの自由さがある。
 詩は本来、このように書かれ、読まれるべきなのだ。中上さんの『ジャズ・エイジ』を読むと、借り物といわれた日本のビート詩も、ついにここまできたのかと、深い感動を覚える。
 中上さんの詩を読むと、ホッとする。それは、中上さんが自分を裏切ってこなかったからだ。「どんなに惨めに思える生涯でも/実はそうではない/棚にジャズがあるかぎりは」と書くのは、人は好きなことをやっていればいいよ、という読者へのメッセージでもある。
 だから多くの、ジャズを知らず、ビート詩や、現代詩を読んだことのない人たちでも深く共感できるのだ。「漂流院泥んこ棒杭居士」のモットー。
  Make It New!(エズラ・パウンド)

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