著者 | 北村太郎 | ||
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タイトル | 新鮮、豊姸な味わい | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 7回[1992年] |
分野 | 詩部門 | 分類 | 選評 |
清岡卓行はいまから五年前、六十代半ばにして初めてパリの土地を踏んだ。「青春前期に熱く憧れたパリ」と、あとがきではっきり書かれているパリに、ごく短い期間滞在して得られた詩篇が、詩集『パリの五月に』の第一部(全体の約三分の二)に収められている。
パリにいる清岡は「青春前期」から長い歳月を経て、すでに老年初期に入っている。熱烈なあこがれは、ときに灰を嚙む
ほとんどの花房が
小さく白い花の群れをみずみずしく開かせ
あちこちごくわずかの花房が
さらに小さく白い蕾の群れを可憐に膨らませ
白の溢れるあでやかな花ざかりである。
ただし
黄褐色 濃い桃色 黄色が
極微の斑点として一面に粗く散らされ
爽やかで寂しげな雰囲気をも生じさせている。
また、「シャルル・ボードレールの墓」での、この象徴派詩人の「薔薇色の」という形容詞についての次のような十行――「薔薇色の靄」とか/「薔薇色の乳首」とか/「薔薇色の小妖精」とか/まるで演出における照明のように/くりかえしよく用いられています。/そして「萎れた薔薇に満ちた」という/官能のために古びた空間を修飾する語句や/「初咲きの薔薇」という/処女性の暗喩などが/短い旋律のようにごくたまに現れます。
このなかでも、「官能のために古びた空間を修飾する語句や」という語句は清岡にしか書けない、ひじょうに優れた一行である。ひとことでいえば品のよい措辞だが、品がよければこそ、この一行に限らず、清岡卓行の詩のおおよそはいよいよ新鮮味を増すのだ。上等のワインのようなディーセンシーの貴重さを思わずにはいられない。
『パリの五月に』の第一部には「シャルル・ド・ゴール広場」「身ぎれいな乞食」「パリで逢ったひと」「アルレッティ」と、四つの散文詩が含まれている。のびのびとして、しかも、しっかりしたリズムの感じられる作品群だが、散文詩というより散文のエキスそのものというべきかも知れない。そこがわたくしには却って魅力的だった。第二部の「追想のパリ」では、島崎藤村、藤田嗣治、岡鹿之助、金子光晴、デスノス、ランボーの六人をうたっており、さらに最後に附録として「日本現代詩にあらわれたルナルディスム」と題するパリでの小講演を収録するなど、いっぷう変わった構成が新鮮、豊姸な味わいをもたらしているのだが、そのなかでの散文詩らしからぬ散文詩がひときわ渋く輝くように思われたのである。無類の新詩集の収穫を喜びたい。