吉増剛造『螺旋歌』(1990年10月/河出書房新社)

著者 吉増剛造
タイトル 螺旋歌
出版年月/出版社 1990年10月/河出書房新社 受賞回[年] 6回[1991年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  一九三九年二月二二日、東京生れ。慶大国文卒。詩集『出発』『黄金詩篇』『オシリス、石ノ神』他。

[受賞のことば]
縁か島かを辿って
――編集者への手紙より、受賞の言葉にかえて

  〝縁〟か〝島〟かを辿って、伝って、盲目の海亀のように、海波を攫いて宇宙を行くのかしら……。〝新しい場所〟に貴方をさそってそこで溺れさせようと、……。そのどちらでもあるのでしょう。〝溺れる〟としるして、鼻孔につんと川泳ぎで〝溺れそうになった、……〟あのときの〝世界の拡がり〟が戻って来てました。〝ああ、ここからはじまって、ぼくは死んで行くのか、……〟、なんとも甘美な、異界の光の拡がりが、そこからはじまろうとしたのですね。〝溺れる……〟は「螺旋歌」のkey‐wordの一つでしょう。水際が、不思議に繁む〝合流点〟〝支流〟〝河口〟が頻出するのは、この〝水中/水裏〟の橙色の、光の淡い異界のあらたな拡がりへの希望でした。潜在的な(僕は、川泳ぎの奥多摩や秋川の淵や壺のフルチン河童でしたから、……)こうした、水とのほとんどエロティックなといってもよい官能があった。折口信夫の〝水〟、〝水の女〟も、〝溺れたシェリー〟への憧憬を籠めた、その薄い〝境界域〟への近接も、意味が確かなものとしてあったのです。しかしながら、格闘し、線をねじ伏せ、置き変え、空白を開き、という〝校正/自己検閲〟を辿って行って、初めて〝再開〟した、そう〝死の悦び〟といいましょうか、白日のもとの〝死の光〟です。

 
[作品抄出]

  雨降れジョルボレ葉揺れパタノレ/濁りの山よ

  不可能だが、その、不可能の濁りのままに語りだし語りおえたい気がする。濁りのままに、淀みをそのままに、あるいは口籠りをそのままに。縁や島石を小舟が接いでいくように、鳥達が啄んだ木の実を嘴から落とさぬように、そんなふうに言葉を啜り文脈を追っていることに時折夢のなかで――恥ずかしい――と呟いている。そうして夢中のその粒々をなんとかあたらしい口籠りにしたいと考えて小文を書きはじめていた。きっと不可能なのだろうが、その不可能を不可能の濁りのままにするのは、しかし。しかし、静かに不可能がふとその濁りを忘れることも、それがあるのだと思う。わたしはいま旋回する生と死の夢を語ろうとしている。異なった彩りの時間を感じとりつつ、小舟が、あるいは啄んだ木の実を嘴から落とさぬように鳥達が、――親切な飛翔を比類のない旋回を。濁りは経験的なもの、感覚の染や跡、記憶の翳りを指し示しそしてその濁りの奥で生命現象はそのさらに奥のなにかに出逢うことを切望している。切望の尖端の細い岬で不可能が不可避の濁りの不可視の傷として浮かんでいる。傷だ。突出した傷だけがあるいはそれだけが確かに存在している。開こうとする不可視の傷にそっと濁りをちかづける、未知の濁りを世界といってもよい。小石をさがしている。傷の奥に赴こうとして躓きの小石をさがしている、それに出逢うことを切望しているわたしもまた貌のない小石なのだ。ささやかな経験を語ろうと思う。不可能だが、その、不可能の濁りのままに語りだし語りおえたい気がする。濁りのままに、淀みをそのままに、あるいは口籠りをそのままに。インドで過した時間は、わたしの前方に緩やかな宇宙をあらわしていた。詳らかにそれを細かくうつしだしてみたいと思う。不可能だが、不可能の濁りのままにといいつつ、だからこそそれが可能だとわたしの言葉の外縁に明るく澄んだ灰色の蔭の声がして前方に勾玉や何かを目に浮かべるような気がしてわたしはそれを見詰めていた。不思議なことに逢着した。
 「漢字」、「ひらがな」、「片仮名」の綾織り、ところどころに冷たい風もちぎれて音韻の隙間のある習いおぼえ書き馴染んだ言葉が、とおい異国の風景を語るとき、とても使いづらい筈なのに、僕はいまインドの時間を語ろうと思いつつ思いがけない言葉の騒ぎを身内に感ずる。それは懐かしさとも沈黙ともちがう。おそらくこういい切ってよいだろう。いまだ読んだことのない宇宙(言葉の騒ぎ)を前にしているのだと。ある満ちた、〝不可能〟の状態。澄んで濁った前方を読むことを遅らせているその状態を読もうとする、指示の力が退いて行く。この瞬時にしてそれを知覚したのは、おそらくわたしのなかの奇妙な型(かた)だ。姿と、力と、といおうとしていま、瞬時に〝型〟といいなおしていた。みたことのない絵のようなかたちが通行している。みたことのない絵といういい方で宇宙を。そうか、異なった、いまだかつて経験したことのない生命の遅れ――パーリ語、サンスクリットではどう響いているのか。それはそれを知るときまで知らなくともよい。時が(型が)響いて行く、わたしの過去、通り過ぎた時の幽かな漣波の白衣を引いてその前方へと漣波の白衣を引き出して、行く。奇妙な型、明るく土埃のゆっくり立つところに宇宙のフォルム(小丘)に近づいて行くような気がしていた。

(ブッダ最後の旅/一生の回顧――バンダ村へ)
  そこで尊師は朝早く、内衣を着け、衣と鉢とをたずさえて、ヴェーサーリー市に托鉢のために入って行った。ヴェーサーリー市において托鉢して、托鉢から帰って来て、食事を終えて、象が眺めるよう*(身をひるがえして)ヴェーサーリー市を眺めて若き人アーナンダに言った、「アーナンダよ。これは修行完成者(=わたし)がヴェーサーリーを見る最後の眺めとなるであろ*。さあ、アーナンダよ。バンダ村へ行こう」と。
「かしこまりました」と、若き人アーナンダは尊師に答えた。
  そこで尊師は、多くの修行僧のつどいとともに、バンダ村におもむい*。尊師はそのバンダ村に住された。

(訳注)
  象が眺めるように――nāgāpalokitam.――――――――――――――――――――――――――――――――――「遊行経」にも『大般涅槃経』にも出ていない。nāgāvalokitenāvalokayati(Mahā-parinivāna-sūtra 20.4,S.226; Divyāvadāna, p.208).多くの人々の多数の骨はそれぞれ合している。『ところが諸々のブッダの骨は鎖のように固く結びつけられている。それ故に、(ブッダが)後を見ようとするときには、頸を廻転することができない。ところで象が後方を見ようとするときには、全身を転廻するように、身をひるがえさねばならぬのである。(Sum-vil.p.564)『有部毘奈耶雑事』第三十六巻(大正蔵、二四巻三八八ページ下)には『如大象王全身右顧望広厳城』と訳しているが、パーリ文註解の説に一致する。
  最後の眺めとなるであろう――思いは尽きぬ別れの惜別感を示している。
  バンダ村におもむいた――それから釈尊は(パーリ本によると)、バンダ村、ハッティ村、アンバ村、ジャンプ村、ボーガ市を通ってバーヴァー村に赴くのであるが、通過した地名は、諸本によって非常に相違している。ただバーヴァー村へ行ったということだけが一致している。

(中村元氏訳、岩波文庫、傍線引用者)  

  巨象が麗らかな日をあびて、人々のかすかな微笑に見守られて、日のもと、ゆっくりと転回している。(身をひるがえさねばならぬ)と見守っている人々の眼の奥で動作は動作と呼ばれるものはしだいに遅れ出して行き、後を見ようとすることもしだいに忘れられて、それを、わたしたちは感じとっている。

  托鉢をして。托鉢から帰って来て、食事を終えて、象が眺めるように(身を、……)

  ブッダの身体のうごき、そのかたちもこうして、奇妙に明るく濁った絵の前方に、明るく渺茫とした視界を、そうだ、それを未来といってもよい、その前方そのものとなってわたしも〝濁った、雨滴のように〟歩き出す。

  バンダ村、ハッティ村、アンバ村、ジャンプ村、ボーガ市をバーヴァー村に赴く

  こうして、行く、赴くということをするのだ。ブッダの姿を書中にみたあとで機会に恵まれてわたしははじめて昨年二度にわたって一九八八年三月と十一月インド、バングラデシュを訪ねていた。カルカッタ、ダッカに居てベンガル語に耳が慣れて、右の村名のバンダ、ハッティと弾むように濁った言葉が鼓膜にあたったらしく、しかも懐かしい。なんだろう、ブッダという呼び名さえも。それはきっとカルカッタやダッカで詩の朗読を(口籠り、折れた、傷ついた、母国語で)しながら、鼓膜に濡れて沁み込んだベンガル語の裸の小島に似た美しい佇まいだ。異語の騒ぎを聞き、ガンジス河(恒河ノ白河)に目を澄まし、少年の頃、ロビナント・タゴールの耳にまず沁み込んだという「雨降れジョルボレ葉揺れパタノレ」この宇宙の濡れ揺れを聞いていた。わたしも〝濁った雨滴のように歩きだす〟、ここにわたしの砕かれて、〝い、折れた〟語の庭に美しい単語が、わたしが昔の昔の歌の痕跡と吹き下りて来ていた。麗かな日の下巨象がゆっくり転回するように、単語は美しい。一頭の巨象が、一頭のといったらよいのだろうか。淋しさをつめたさを消し、明るく濁った埃の庭に。中部インドのボパールに約十日間滞在して、そこからサンチーのストゥーパを見に行った。村から村へと歩いて、裸足に弊衣で細い河の中流域のようなゆるやかな起伏の道を木蔭に入り、樹幹に背を凭せかけて、微睡みつ歩いて行ければよかった。しかし、そうはしなくとも腹痛と下痢に間欠的に襲われて、少し病んで少し癒えて肉体をはこんで行く感覚が心地よく感じられていた。夕方になると、白牛たちも家路につく。白牛の目は、あのかたち、別乾坤のカーブは、背後に立つであろう金色の埃を見てはいない。アショカ王がブッダのためにと立てたストゥーパは天にある型を示すために、どういったらよいのか、雨滴が海に着く刹那これがあなたの姿だと海に教えるような、山をつくって山に教える、そんな姿をしていた。サンチーの外部歩廊をまわりつつ、少しずつ、わたしはわたしとはちがう、不可能な濁りのなかを、その外部をまわって行った。雨降れ、葉揺れ/濁りの山よ。空と青空、(Gogón)この響きのなかを………。

  バンダ、ハッティ

  アンバ、ジャンブ

 
  バンダ、ハッティ
  アンバ、ジャンブ

  バンダ、バッティ
  バンダ、ハッティ

  アンバ、ジャンブ

  バンダ
  、
  バッティ

  バンタ
  バッ

  ティ

  ダ
  、
  バッ

  ディ

 

  ラ・ボカ(河口)はささやいた

さあ、立ちあがれ

どんな色でもない、色をうしなった

  ――うしなわれた河の姿、古いいろ

河の、こわれた姿が、心にうつる

  ――はいってらっしゃい

何処に、門があるの、門というものはない

  ――はいってらっしゃい

(ごくらくうの、楓の枝に、なむあみだぶつの六字がなるうや

  ――何処から、戻って来たのか、この声は

  ――そうでした

いつの日でしたでしょう、風にさそわれて、何処にもない場所にはいっていった

ラ・ボカ(河口)はささやいた

  ――灰青色の澄んだあお

どうしてでしょう

  ――下流という声が聞こえて

わたしの心のなかの墓所が、(月も、太陽も、………)

  ――あかるい

さあ、立ちあがれ

  ――そう

だれかが入ってきて、何処か、が、うごきはじめていた

うみが泣いていた

  ――消えてしまいたい

黄昏に往ってみた、若い髪の河の人

  ――みみを澄ますと、かすか

ラ・ボカ(河口)は、ラ・ボカ(河口)と、歌い、はじめて

  ――灰青色の澄んだあお

あの世への入口は、空(どんな空の色?)に、うかんでいた

  ――もう、いいよ

舟のかたちにとけた、波になって、ちかづいて行くと、

  ――そう

心に、蘭のかおり

  ――と、とおくで、雪が、と、なり、の姿に

かたりかけた、

うみが泣いていた

  ――消えてしまいたい

わたしも、その、しぐさをまねて、泣いていた

  ――いいでしょう?

わたしは、わたしを、少し、上げ、わたしは、わたしを、少し、下げていた

  ――みみを澄ますと、かすか

ラ・ボカ(河口)はささやく

  ――みみを澄ますと、かすかに

ラン・ポク(丘)が、さ、さ、やく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  ――きこえる?

空のミチを、鷲は、静かに、下りて来ていた

  ――眼がうつる、海の眼が

さ、立てなおそう

  ――そうね

うみ、わたしの涙が下りて行った、だ、渦巻の、

  ――色、

さあ、立ちあがれ
 
 
 
 
 

(掲載作選出=三木 卓)

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