最匠展子『微笑する月』(1986年11月/思潮社)

著者 最匠展子
タイトル 微笑する月
出版年月/出版社 1986年11月/思潮社 受賞回[年] 2回[1987年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
  昭和四年三月十六日東京生れ。日本女子大卒。主な作品集に『在処』『部屋』『そこから先へ』ほかがある。日本現代詩人会、日本ペンクラブ会員。「火牛」「禺婁」同人。

[受賞のことば]
  このたび賞を戴きましたこと、心より嬉しく、また身のひき締まる思いでございます。私にとって、生きることの自己実現が、ことば、というものに拠っているのであってみれば、たとえつらくても書きつづけていくというひとすじの道しか、ありません。人間存在のいよいよ底深く、不可解な総体に、迫りたいということにこだわり、祈りにも似た思いで、究めつづけていこうとねがうばかりでございます。
  有難うございました。

 
[作品抄出]

  箱型宇宙で

飛んでいるのは  光りで
射し込むように見えながら  弾み
弾んでその先は急速に闇に豹変する
光りは  何処か一点へ向かいながら
その源でいつも眩暈を巻き込み
拡散し  三角柱の蜃気楼をつくる
光りが闇と入れ替るのは
心象風景を通り抜けるときだ

光りは何処で生れ
どの岸へ向かうのか
日常と入れ替りに暗黒を飛ぶのは
食慾に似た実体であるか
高速降下するエレベーターのなかで
みぞおちを切り刻む  人類の学習的疾患
激しく咳きこむ孤絶の吐瀉物
己れを燃え尽きさせてくれるものを
転位する磁場と
まだ僅かに残っているかもしれない  何か
かきたてられるべき残像を

確かめ見た光りの一つ一つが
空茫へと消える
明るさも暗さも一片の時の切れ端し
すでに間に合わない  境界線を
跨いでしまえば
仕切られた右も左も
表も裏も
生も死も  ひとしなみに等価に
箱型宇宙の小世界で
すべては
なるように  なって

 

  ずっと時を経てからの

少女はブランコを漕いでいる
空中を飛びまわる眼球に
身体がついていけない
もどかしさがいっそうブランコを揺する
握りしめた鎖と掌との隙間で
汗がひゅうと音をたて
せりあがる風景とずりおちる風景との
反転の一瞬の静止
なにかがはげしく騒いでいる
地表数メートルに身を離すと
揺れているのは鎖ではなく
地の表情そのものであると

陽が翳ると
少女はブランコを飛び降り一散に駆けていく
遠くに何を見付けたのか
うしろで
板にぬくもりはまだ残り
掌のあともくっきりと
誰も乗せていない鎖の揺れはなお激しく
余波は  いっそうざわめいている

そんなことに気付くのは
ずっと  時を経てからのことだ
絆のような鎖をぶらさげてあるあの横木の
そこから放散する無数の力学
その力点のはざまに
少女は消えて
繰り返し  陽ばかりが
傾いては
沈む

 

  行方よ

支えきれずに
突然  折れ
積み重ねた雑多な歳月が
果せないでいた約束が
折れた主柱の  無残な断面で
乱反射する

保ちきれずに
爪がはずれ
疼きもなく  日毎
ぱらぱらと髪が  抜けていく
押されるように
昇るか降りるかしかない
階段の  踊り場

産れた日から
積み上げていくものは  喪失
その空室に充塡する
代償を  追い
へりから  踏みはずし
誤差の海へと
投げだされる

一人一人いなくなっていく庭は
にわかに広く
空に重たげに浮かぶ  白
帰るところは
あの肉厚の木蓮の花びらの
散る  根方

表わしきれなかったもの
幻影も  記憶も
時間の灰汁あく
小さく  幾重にも折りたたみ
心房の鼓動の  ますます奥に
匿う

或る日に
さかる坩堝から引き出され
かきまわされる  骨のかげから
純金の歯よりもチカリと
小さく烈しく発光する
ものを
箸を合わせて骨を拾ってくれる人も
気付くだろうか

 

  食べる

サラダを食べている
女は  セロリの鮮やかな切り口にうっすらとにじむ
ほろ苦い確執を  嚙む
糸状キャベツの減量カロリーを  吸う
ときに唇についた液汁を舐め
小さく息をつく
大盛りされたさまざまの草のたぐい
カットグラスの食器に映る屈折した無数の影
日常はマヨネーズの味
頼りなさの原像を追うなまの正体
塩をふりかける

箸を使って食べる
二本の棒の先から繰りだされる
あやとりのあえかな幻影
フォークは突き立てる野蛮な動物の指で
ナイフはきらめく殺戮のてだて
スプーンは間のびした単調な掌  にすぎないから
それらを忌避し
花開かず摘み取られた
見知らぬ草原の細片を口に運ぶ
エシャレット  スウィートキャロット  レタス  オニオンスライス
パセリ  ラディッシュ  ブロッコリー
陽のふりそそぐウインドガラスに映る
ひたすらに食べる姿勢

別な女が
また別な女が  それを見ていた

食べおわると
少女になった指先で
コップを持ち直し
太古の冷えびえとする時間を湛えた  湖を
いっきに飲みほす
そして女はすっきりと立ち上がる

 

  花もよう

  あれから  もう行くことはないあの一室の  袋戸棚の奧の隅に置いてきた  女の  花の蕾もようのネグリジェは  どうなったか
  男は  汚いものを持つ手つきで  紙袋に押しこんで  焼却場へと運んだか  こわい存在のように顔そむけて  傍らをすり抜けていったか  すっかり忘却の死角に  葬り去ってしまったか
  時を経て  その建物は  深夜の放火魔の炎に  焼けおちた  と聞いた  紅蓮の炎は  あのネグリジェのある絶対空間を  熱い舌で喘ぎながら  匍匐兵士さながら取り巻いていったに  ちがいない  灼熱の明かるさに  焦げながら焙りだされていった  ものは  その女の何で  あったろう
  男と女だけではなく  もうひとつ別の性があれば  よかった  一対一の関わり  点と点を結ぶ線は  面がない三角の頂点を支える面は  定まっている  第三の存在それは  神であり仕事であり  子供やら逆境やら  それらはいつも  目隠しされているが  情念のほむらに焙りだされたときだけ  うっすらとネガの輪郭を  浮きあがらせる
  祭儀には  炎こそがふさわしい
  男はただ  遠去かり  まぼろしの女は  花の蕾もようのうすい布を抱いて  その亡びの現場に立ち会って  いたのだ
  袋戸棚の隅から  交された嘆きと悦びを  女の空間に刻みつけて  いたのだろうか  男と女の劇の髄液を  吸いあげて蕾から大輪に開いた
ネグリジェの花もようのかずかずを

(掲載作選出=長谷川龍生)

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