小池光「『強霜』の強さ」

著者 小池光
タイトル 『強霜』の強さ
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 27回[2012年]
分野 短歌部門 分類 選評

歌人はほとんどが特定の結社に所属して活動しているが、佐藤通雅氏はどこにも属していない。それだけでも特異な存在である。特定の既存結社に属さず、その代わり個人編集誌『路上』を刊行して、みずからの表現活動の拠点としている。
『路上』は氏が大学を卒業して間もなくからはじまる。それから半世紀近く、たゆむことなく刊行を続け、多くの定期購読者を持ち、通算は百号をとうに越えた。『路上』は、小さな商業雑誌を凌駕していつも分厚く、ずっしりした内容を持っている。これだけの個人編集誌は全国にも例はなかろう。佐藤氏が発信するユニークなメディアとして多くの読者からの信頼と支持を得ている。現代のような商業ジャーナリズムが文学一切をリードする状況の中で、きら星のような存在感を放っている。
『路上』の主なる内容は、自身が高校教師をつとめていた関係からまず教育問題への発言、それから児童文学への関心、宮沢賢治への言及そして短歌である。氏はそれらのすべての領域で、鋭い問題提起をしてきた。歌人としてより、児童文学の先鋭な批評家としてすでに充実した仕事をしてきた。重厚な評論集『宮沢賢治  東北砕石工場技師論』は第十回の宮沢賢治賞を得ている。
 歌集『強霜』は、二〇〇五年から二〇一〇年までの六年間の作品から五五〇首を選び一冊とした、著者の第九歌集である。東日本大震災以前の歌業から自選した。この未曾有の大災害について、東北人として氏は実に積極的な発言を重ねて今日に至るが、この歌集はそれ以前のものだ。規則正しい、自律心高い日々の生活の中から、折に触れての感慨、感想が氏の多彩な表現活動の重心をなす短歌形式によって綴られている。表現は平明であり、淡々としてむしろ軽快と呼びたいくらいだが、その中には現代社会の混迷と悲惨さが、そして生と死が、さりげなく織り込まれていて胸を打つ。
  自が思ひ届かぬことにいらだちて鬱深むるを長寿とぞいふ
  死ぬべきがここまで生きてと悔しがる人も漏れなく罷りたりけり
  和紙の冷え広げて書写うつす『正法眼蔵げんざう』にこの一年はたちまち過ぎつ
 近親者の老いと死を愛情ゆたかに、そして時には冷徹に見通す作者の目は確かである。長寿社会の現実をまぎれもない批評家の目をもって見据えて、またわがこととして引き受け歌っている。分かりやすい表現の背後に立つものはけっして浅いものではない。毎日毎日朝一番に『正法眼蔵』を書写することで、一日が始まるというが、その禁欲的な克己心に驚くとともに、その自らを律する態度の根底に短歌へのふかい信頼と愛があることを歌集『強霜』はよく伝える。
 地味ながら、いかにも本賞にふさわしい良き歌集を得たことを喜びとする。

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