大島史洋「自在、かつ、過激に」

著者 大島史洋
タイトル 自在、かつ、過激に
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 23回[2008年]
分野 短歌部門 分類 選評

  第二十三回詩歌文学館賞は選考三委員の一致した意見で、清水房雄の第十三歌集『已哉微吟』と決定した。「已哉いさい」は「やんぬるかな(今となってはどうしようもない)」という意味である。清水は『子規漢詩の周辺』という研究書などをもつ漢文学者でもある。そのせいもあってか、歌集名には凝った漢語を用いたものが多い。第十二歌集の名は『碌々散吟集』、第十一歌集名は『獨狐意尚吟』といった具合である。その第十一歌集で清水は、
  いま一度宣戦布告でもするかそれ程あの国が気にくはぬなら
  とうたって、吾々を驚かしたのであった。
  清水の戦争に対するこだわりは今度の歌集『已哉微吟』にも脈々と流れていて、次のような歌をあげることができる。
  戦争の記憶は今もまざまざと死にぞこなひのわれ九十歳
  十二月八日ぞ今日は彼のあした身ぶるひしたりし二十六歳
  もしもあの時といふ事それすらに六十何年か過去となりたる
  謂はれなく攻め来る者も無しとせず日本軍嘗ての侵攻思へば
  間接統治といへる事の意味などもどれだけ実感したりしや彼の時
  戦争以外どんな方策があつたのか暫し考へて考へやめぬ
  六十数年前の日本の敗戦の意味を問う清水の気持ちは繰り返しうたい続けられてきた。そのためにさまざまな昭和史を、政治史・軍事史に限らず経済史にまで及んで読み続けている清水の姿がこの歌集から次第に浮かびあがってくる。そこに感動するのである。
  先にも述べたように清水は漢文学者であり、教師でもあるから、
  漢文訓読を新仮名でやる莫迦が居る敗戦後遺症の一例かこれも
  素人がいぢくり回しての新漢字も流布定着して世紀半ば過ぐ
  といった日本の国語政策を批判した歌も見られるが、その他にも社会のいろんな分野に目を向けた小言幸兵衛的な詠み口の歌が無類におもしろく、さまざまに考えさせながら読者を引っ張ってゆく力にはすばらしいものがある。
  遺伝子組み換へ短歌でも作らうかなどなど話は止めど無きまで
  街頭ライブとやらに立ちどまる下手と度胸に感心もして
  切れ味が鈍くなつては是非もなし爪切ひとつの事といへども
  女色にも金にも縁なき有りやうのいさぎよしなどと思ふものか誰も
  何だ今ごろ来たかと言ひて笑ひたまふ遠きみ声も聞こえ来るがに
  最後にあげた歌は師である土屋文明の墓を訪ねた折の作。文明が亡くなって十八年が過ぎた。清水の歌は、自在かつ過激に文明のあとを継いでいると言うことができる。

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