著者 | 伊藤一彦 | ||
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タイトル | 歌の重みと深み | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 22回[2007年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 選評 |
候補作として三冊を選出、岡野弘彦『バグダッド燃ゆ』、春日真木子『燃える水』、吉野昌夫『ひつそりありし』を討議の結果、『バグダッド燃ゆ』を受賞作に決定した。岡野作品の持つ重みと深みに高い評価が集まった。
『バグダッド燃ゆ』は二〇〇二年以降の作品を主に収めている。「あとがき」に「三十年住み馴れた伊豆を離れて、東京に住むようになった途端、妻が病に倒れ、イラク戦争が起こり、戦中派として生きた時間が、ふたたび重く身によみがえるような思いがしきりであった」と記されている。
東京を焼きほろぼしし戦火いま イスラムの民にふたたび迫る
名も知らず、女男を分かたぬ骸いくつ。焼け原の土に 埋みゆきたり
わが友の面わ つぶさに浮かびくる。爆薬を抱く 少年の顔
イラク戦争は多くの歌人によって歌われてきたが、岡野作品の特色は自らの戦争体験ゆえにイラクの民を深く思わずにいられないというモチーフが作品に強いリアリティをもたらしていることである。「バグダッド燃ゆ」はそのまま「東京燃ゆ」なのだ、と。
信篤き大統領は 異教徒を 屠りつくして こと足るとせむ
専制の国といへども 若きらは 神のいくさにいさぎよく死す
草木にも やさしくやどるわれらが神。敗れし後も 疑はずゐむ
そして、「信」「神」とは何なのかという問いかけが戦争詠を通じてなされている。『バグダッド燃ゆ』はその意味で戦後六十余年の日本と世界を問い、今後の日本人の生き方を考えさせるものになっている。
『バグダッド燃ゆ』は出版後に、戦争に対する怒りの真率な表現が反響を呼び社会詠論を生み出すことになったが、この歌集はいわゆる社会詠を超えた厚みと広がりを持っている。静謐さと激情、柔らかさと剛直を綯い交ぜにして歌う岡野弘彦の独自の調べがそのために大きな役割を果している。
成りなりて わが現し身の男のはじめ。海の初日をうけて すくやか
朝風にさからひて走る。りんりんと身は空に鳴り たましひ遊ぶ
一方、怒りや悲嘆の歌にまじえて、「すくやか」な老いの身が歌われていることも特色である。八十歳をこえた岡野弘彦の怒りや悲嘆のただならぬ強さは身の「すくやか」さならではであろうか。身体髪膚を大切にする志そして修錬の人である。
眼をとぢてキス待つ面わ ほのぼのとくれなゐさして柔毛かがよふ
ひげもじやの達磨の顔の 笑みくづれ 唇吸ひくるに 魘されてゐる
二首だけ引いたが、「髭・鬚・髯」の十三首からなる愉しい題詠もある。
『バグダッド燃ゆ』は古い形式の短歌が現代に生きる力を持つことを改めて証左した。