雨宮雅子「思いのうたびと」

著者 雨宮雅子
タイトル 思いのうたびと
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 21回[2006年]
分野 短歌部門 分類 選評

  候補作として四冊を選出、稲葉京子『椿の館』、岩田正『泡も一途』、三枝昻之『天目』、吉川宏志『海雨』を討議の結果、稲葉京子『椿の館』が受賞に決定した。
  昼ふけの昏き空より来し雪は紅梅に降り白梅に消ゆ
  茫々とわれを降りこめをりながら連れて舞ふ雪別れゆく雪
  薄白む夜明けの闇を切りわかち一騎五、六騎オートバイゆく
〝椿の館〟のドアを押すとこのような歌に出会う。前二首の下句のたおやかさ――。三首目のオートバイさえ美意識に支えられて優美である。ていねいによまれ、選びぬかれた一冊であることを暗示しているようだ。
  稲葉さんは思いの深い、思いの濃い歌人である。「生き方がわからねばまして死に方がわからぬわれを疾風はやちは揺する」とあるように、常にみずからの存在を問いかけ、問い直しつつうたってきた。しかし容赦ない年月はこの歌人の上にも積もり、自己の存在への問いかけから他者の存在への問いかけにと進む。
  夏の雲われが行きたることあらぬところを歩む子らの長すね
  君の生わが生つくづくいとしけれちりちり盡きてゆく手花火よ
  次々に子を発たせたるがらんどうの母のやうなる駅の夕焼
  母の領域から発って行った子らを思い、残された夫との時間をいとおしむ。とくに「駅の夕焼」は駅そのものに母胎を思わせ、喪失感はなお茜の艶なる色をにじませつつ哀切である。
  いっぽう集中には「時雨してくまなく濡れてゆく木草もとよりわれも木草の連衆れんじゆ」のように植物をうたったものが多い。
  甘藍の畑にれたる初蝶か逢はむ逢はむと発ちてゆくらむ
  あのやうな人になりたかつた私を人間になりたかつた犬が見てをり
  植物だけでなく、動物や虫などにも心を寄せ、このように対象になり変わってうたうものも多く、珍らしい作品といえよう。若い頃童話を書いていたという資質ゆえだろうか。
  どの病ひで死なせますかと訊ねゐる使ひの者が必ずをらん
  この歌も人の死を運ぶ使者があるという想像で、死の真実と恐怖をうたっていながら、ふしぎに寓話めいた味わいがある。
  歳月の侵入を受けとめる形でうたわれている歌群に共感するが、やや能動的にシビアなところに目をむけている作品もあげておきたい。
  拡大鏡で見ればおそろしきことならむ蟻をつぶしてゐる昼さがり
  煉瓦坂に小さく躓き月光とネオンと闇を攪拌したり
  暗黒の中を暗黒がうねる音おのれの道を風も探すか
  正統派的韻律と技法をもつこの集が賞となったことを喜びたい。

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