岡井隆「前兆のようなかがやき」

著者 岡井隆
タイトル 前兆のようなかがやき
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 1回[1986年]
分野 短歌部門 分類 選評

 『祈念に』は、近藤芳美氏の歌集のなかでも、特に微妙な時期に編まれた本であろう。この歌集の内容は数年にわたっているけれども、そこに今までの氏の社会派的風貌(これを簡単にいうと、日本とか人類の運命について、やや丈高い位置からうたう歌い方)とはちがう、やわらかい影が、随所にみられる。これは、なんのためであろう。年齢の故とは簡単にはいいがたい。
  氏は肉親をはじめ友人、知己の誰かれを、この期間にうしなっている。それらの人は氏の今までの公私の活動を共にして来た人たちである。氏の挽歌は、抒情性のつよいものであるが、それだけではなく、共にすぎた「戦後」という時代、あるいはさかのぼって「昭和戦前」という時代へ、一種の挽歌をうたっているおもむきがある。
  氏は、いうまでもなく、歌壇戦後派の代表格の歌人として知られる。戦後間もなく刊行された『埃吹く街』および『早春歌』(このうち後者は、戦前戦中の作品をまとめたもの。戦後になってようやく戦中の、ある意味で反時代的といえる恋愛歌や社会批判の歌をまとめたところに氏の歌柄の特長の一つがしのばれる。)によって、氏はひろく世に知られた。そして、同じ世代――戦中に暗い青春をおくり、荒正人風にいえば、戦後が「第二の青春」であった世代の誰かれと一しょに「新歌人集団」を作って数年活動した。
  こうした、世代的な主張のすじを徹しつつ集団を成す(しかも、既成結社にとらわれない)という方式にしても、評論と作品を一体化しようと努力していく態度にしても、氏の作家としてのあり方によるものであって、このどれもが後続の世代に与えた影響は、はかり知れぬほど大きいといっていい。
  しかし、氏の歌は、どちらかといえば巧緻ではないし、氏を華麗な技巧家ということもできない。今の時代の風潮からみるとき、むしろ、不器用なまでに「戦後的なるもの」をひきずって生き、そして歌っておられるように見える。『祈念に』にも、その傾向はたしかにみられるのである。
  にもかかわらず、『早春歌』や『埃吹く街』のころ、風俗的な素材をとり込みながら、新しい技巧の型をひらいたのも氏の仕事だったのである。そうした作家としての初心のようなものが、今度の『祈念に』のあちこちに、微妙な影を生じはじめているのであろうか。天体をうたい、草木をうたい、旅の感想をまとめるときの氏の歌いぶりに、どこか、たのしささえ、ただよいはじめているようにもみえる。この傾向は、やはり氏にとって、新しい変化といえるのではないか。
  七十代の歌人は今まで決してすくなくないだろう。しかし、氏のような硬派の歌人が、これから選びとっていく人生の唄とは、いわゆる老境の歌とは違うように思える。その前兆のようなかがやきを、この本は見せているのである。

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