田井安曇『千年紀地上』(2009年1月/角川書店)

著者 田井安曇
タイトル 千年紀地上
出版年月/出版社 2009年1月/角川書店 受賞回[年] 25回[2010年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九三〇年雪国信州飯山のカナダ系聖公会信徒の家に生まれる。旧制飯山中学・岡崎高等師範学校を経て五二年東京下町の中学に就職、八八年「綱手つなで」創刊まで都内を転じて勤務。作歌は十七歳頃より。全六巻の『田井安曇著作集』と十二冊の単行歌集があり、『千年紀地上』はその最新刊。

[受賞のことば]
  抒情詩である「短歌」というものの性格ゆえか、ひとり合点のところがあり、人々の上に輝く栄冠は、臍曲りの、馬力不足の私ごとき者のところへは到底回って来ないものと居直っていた。だから内定の報をいただき、公的な発表があるまでは、歯をくいしばっているのに骨が折れた。今は素直に諸方に感謝申しあげる心境である。
  また、五月には二十年にわたる職場の同僚、星野麥丘人氏と久々に並んで座ることになり、この偶然を此の世のこととして嬉しがっている。

  
[作品抄出]

山がわのみなぎらい平らに押してゆくこの村も学徒動員にて来ぬ

雁田山見えその下に小布施見ゆ千曲距て父死にし病院も見ゆ

これの世にかすか短く生きたりと思いふるさとに一夜を眠る

詩人は天皇にゆくことなしと眉上げておお飯島耕一書きぬ

雲然くもしかりという名の村を喜べり君の書く『菅江真澄』によりて

君さえ文明氏の百年を糺さざる弟子ということは思えばかなし

一茶なるものおとうとと争いてこの関を幾度も上り下りする

幻想をわれら生きたりしのみなりや〈戦中〉永く〈戦後〉短し

千年紀という時の壁越えゆくらしこころ一と日すら危うきわれの

鴉、鴨混じえて鳶は砂洲に居る気流を見つつ現前まさかに飛ばず

北にゆく水は相合い声あげてあたかも旅を急くごとくゆく

よろこびの声あげてここに受け入るる水も入りゆく水もはやしも

四河集いここにあげいる水の声遠きあり近きありまた足下そくかより

この河の下流に育ちこの川を母と称びたる校歌歌いき

母の手函の「長老書簡」ガリ刷りにて教会欲しと願い切なり

さまざまにしてこのたてものに育まれし幼年は見ゆあわれと言わず

柿好きの母に生れて柿喰いの子規にし従きぬ一生ひとよくくれば

寒ののこり少なきを祝ぎ百近きひとの手を取り辞してきにけり

永生きのさびしさを告げている手紙読み終りまた戻りて読みぬ

読みさしの数冊がしぶきあげながら帆のごとくそこに主題が見え来

わろき政府持ちたる民のさきわいは渋き歌一、二街に拾うも

ガバと起きて暁数行を書くこともごうというべし安寝やすいもせずて

沈黙をすべきところを定型の魔が来てもてあそびたるにあらずや

たまたま平和なる時に教師たりし奇蹟を科のごとくに思う

青年一人病みて名を変えてこの国にすなわち貌を失い生きき

神学生になるあやまちを逃れたる諸経緯を謝し広場を横切る

昭和二十一年北信濃に強き磁場働き歌詠む青年に吾を結びき

戦争に不況救われたき声は通夜の席にもありありとして

アメリカはやるべしと励ましている声はこたびも聞こゆかの日ごとく

罪ふかきアメリカという帝国のありようにまた見ぬふりをする

(掲載作選出・小高 賢)

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