岡野弘彦『バグダッド燃ゆ』(2006年7月/砂子屋書房)

著者 岡野弘彦
タイトル バグダッド燃ゆ
出版年月/出版社 2006年7月/砂子屋書房 受賞回[年] 22回[2007年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九二四年三重県生まれ。國學院大學卒業。在学中より折口信夫の内弟子となりその没年に至る。七三年より二十年間短歌誌「人」を主宰。歌集に『冬の家族』『滄浪歌』『海のまほろば』『天の鶴群』『飛天』『異類界消息』『バグダッド燃ゆ』がある。九九年より個人誌「うたげの座」出版。

[受賞のことば]
  世襲の神主の家に生まれ、戦中派として戦を体験し、古代学者折口信夫に教を受けたことが、私の学問と文学のあり方を定めました。
  古代から、戦によって生じる不幸な未完成霊の鎮めを歌った和歌の伝統が、今回のイラク戦争によって新しい刺戟を受けて、私の胸の中で作品となって燃えあがりました。思えばそれも、師の晩年の歌集『倭をぐな』の歎きの継承であります。
  恩顧を受けた井上靖・山本健吉両先輩にゆかり深い「詩歌文学館賞」を受けた喜びを思い、選考委員の方々に感謝します。

 
[作品抄出]

桜の花 ちるをあはれと果てゆきて 少年の友おほよそは亡し

焼けこげて 桜の下にならび臥す むくろのにほふまでを見とげつ

食ひ飽きて 心はむなし。老いも若きも食あげつらひ ほほけゐる国

桜の花 ちりぢりにしも死なざりし 命のはての つひにさびしき

親の世の 明治を憎くおもはねど 司人は 大き過ちをしつ

信篤き民が拝めるみ仏を えはららかし 谷に埋めき

ひげ白みまなこさびしきビンラディン。まだ生きてあれ。歳くれむとす

眼をとぢてキス待つ面わ ほのぼのとくれなゐさして柔毛にこげかがよふ

ひげもじやの達磨の顔の 笑みくづれ くち吸ひくるに うなされてゐる

東京を焼きほろぼしし戦火いま イスラムの民にふたたび迫る

コーランの祈りの声は 砲声のしばらく止みし丘より ひびく

かくまでも異教の民をしひたぐる 神を許さじと 憤り立つ

聖戦ジハードをわれたたかふと発ちゆきて 面わをさなき者ら 帰らず

専制の国といへども 若きらは 神のいくさにいさぎよく死す

草木にも やさしくやどるわれらが神。敗れし後も 疑はずゐむ

内ふかきいたづき見えて、うつら病む汝がしら髪は かすかにゆらぐ

ふたたびの戦火に 命つひえゆく イラクの民を妻に語らず

日本の野山は荒れて 飢ゑせまる鳥けだものは 人を恐れず

地震なゐの後 つちにひびきて降る雨の 三夜やまざれば 人さらに死す

をみなごよ。内は洞ほら 外は統ぷすぷ。肌へ寄りきて われを抱かね

祖神おやがみ 内はほらほら 外はぷすぷ われの十月とつきを はぐくみましき

くれなゐの乳房おもたく 道に啼く 黒山羊の乳を 手にしぼり呑む

坂の上の雲 あかあかと夕映えて またひとり 子が殺されにけり

腹切りて 臓腑なげうつ死にざまを たたふるふみを われはこのまず

いくさ政治家つかさびと みなおろかにて 悲歌うたはせて 国は敗れき

伊豆の海 はるかにのぼる朝日子は わが浴ぶる湯の窓に ただ射す

成りなりて わが現し身ののはじめ。海の初日をうけて すくやか

ひねもすを 曾孫にをしへ余念なし。火遁 水遁 壁ぬけの術

歌こそは慨みの声。人みなのすたれゆく世に もだしてあらめや

ながらへて 八十やその命の花あかり。老い木の桜 風にさからふ

(掲載作選出・伊藤一彦)

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