著者 | 玉井清弘 | ||
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タイトル | 婉なる世界 | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 20回[2005年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 選評 |
候補作として四冊選出、さらに宮英子『西域更紗』と伊藤一彦『新月の蜜』の二冊に絞って討議を重ねた結果、宮英子『西域更紗』を受賞作ということで意見が一致した。
夜半の雪音なく降りてしろたへに箔置く見れば古代のごとし
月かげを手籠に入れてあゆみ来つ影ともなへばゆるりとひとり
庭すみの雑草まじり抜きいでてあやめぐさ五寸ほどのむらさき
懸命に冬薔薇咲けりあたらしき光の差せばくれなゐの婉
日常の平凡な事象が素材となっているが、いずれも対象の本質から目を逸らさない、しなやかな視線を感じさせる作となっている。前夜から降り続いた雪に一面の柔らかい凹凸をさらしている「しろたへ」の地面。「箔置く見れば古代のごとし」の新鮮な驚きを伴いながら、ふっくらとした景として描き出されている。「月かげを手籠に入れて」の把握の鮮やかさにも同じような発見が光っている。「あやめぐさ五寸ほどのむらさき」ののびやかな表現にこめられた豊かな時間、空間は読者をともにつつみ込んでくれる。読む者を生きることの喜びへといざなってくれる表現となっている。
宮柊二の生前は、宮柊二という大木の陰となってともすれば隠れがちだったが、大木に遮られていた光を全身に浴びるようになって、独自の自在な作品世界を展開し始めた印象が強い。『西域更紗』は宮英子氏独自の「くれなゐの婉」の世界を読者に提供してくれている歌集と言える。
よろこびも悲しみも過去は輝けりかけがへのなき一人の死すら
寂しさを餌食に生くと言へるなり洒落た科白に惹かれてたまるか
おだやかに春の日ながし待つことも向きあふ人もなくて暮れたり
「あとがき」によれば、今年の二月で八十八歳を迎えたという。一人で老いに向かい合う日常を詠んだこれらの作も印象深い。「かけがへのなき一人の死」に「過去は輝けり」を認めることのできるという認識には、積み重ねてきた人生の豊かさが自ずからにじんだものとなっている。「待つことも向きあふ人もなくて暮れたり」という時間も、寂しさとは異質な安らかな時間といえる。「洒落た科白に惹かれてたまるか」という、強靭な精神が支えた日々だからこそだろう。「箒に乗つて一飛びに仏蘭西へ行かう
昆布海ぞぞ髪逆立つさまに揺れもつれひしめく海底の修羅
バグダッド陥落すべし、したりといふ。空走る閃光また誰か死ぬ
物を見る目をしっかりと持ち、対社会への目も失わない意欲も魅力的である。