小島ゆかり「今を生きる人」

著者 小島ゆかり
タイトル 今を生きる人
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 41回[2026年]
分野 短歌部門 分類 選評

  これまで経験することのなかった長寿社会の現代、刻々の今と向き合って、わたしたちはどんな表現ができるか。
  青年が壮年が、それぞれの今を生きてうたうように、老年もまた、典型ではない個人の今を生きてうたう。力ある表現でそれを鮮やかに示したのが、春日真木子の第15歌集『宇宙卵』である。
    とりあへず尾と鰭を削ぐさつぱりと薄暑に入りし今日の挨拶
    うたた寝の脳はしつとり青き闇 文庫本は翼ひろげて
    鳴りつづく受話器にわれは届かざり行方不明と言つてくだされ
  話に尾鰭がつくと言うが、そんな暑苦しい尾や鰭は削いで、さっぱり今日の挨拶をして、うたた寝の神秘的な闇に分け入り、鳴り続ける受話器には辿りつけないから、行方不明と伝えよと言う。老年の日常のようで、したたかな詩魂が見え隠れする。
    2並びに一つ欠けたる(ゼロ)は何 宇宙卵かはたまた虎穴(こけつ)
    Zoomにて初対面のインタビュー笑みに朱をさせ言葉にも朱
    鰻重を匙にて掬ふ木曜日わが食卓のダイバーシティ
「2並びに」の歌は、二〇二二年(寅年)新年の連作中の一首。この歌の宇宙卵って何だろうという読者の思惑などかまっちゃいない。まもなく百歳になろうとする日々にも、Zoomでは笑みに言葉に朱をさし、食卓のダイバーシティを楽しむ。手強い作者像が生き生きと迫り出してくる。
    ゆたかなる髭の波打つタゴール像碓氷峠に今ぞ逢ひたし
    生活を単純にして生き継がむ茂吉に倣ふすなはち昼寝
  人名が登場するこの二首の落差にも驚く。
  タゴールはインドの詩人。アジア人初のノーベル賞受賞者である。来日の記念像が碓氷峠にある。が、たぶん歌人の意識は、「人類不戦」を唱えたこの詩人の平和思想にある。だからこそ、「今ぞ逢ひたし」。
    日本晴れ真青き空を一機ゆく 一機おそろし今日原爆忌
    開戦も終戦もしかと聞きし耳いま聞き流す棒読みの議事
    ネパール人スジャータさんに全身を洗はれてゐるこれも経験
  太平洋戦争を知る人ゆえに、一首一首に刻まれた心理の奥行きに胸を突かれる。
    此の世から両手放すな身を抜くな真昼の鏡にしつかり映れ
    「わたくし」が時々行方不明なりそれでも宇宙に居残る私
  孤独でも達観でもない、まして枯淡などほど遠い。刻々の今を全身で生きようとするエネルギーに満ちている。「あとがき」には、「宇宙卵とは/あらゆる可能性の卵である//あなたが、いま/どんな卵だろうかと想像する/それこそが/宇宙卵なのである」と記されている。
  一九二六(大正一五)年生まれの歌人の詩の未来は、まだ茫洋と拡がっているにちがいない。
  祝意と敬意の大きな拍手を送ります。

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