著者 | 来嶋靖生 | ||
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タイトル | 『水苑』を読む | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 16回[2001年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 選評 |
最終選考に残ったものは森岡貞香『夏至』、玉城徹『香貫』、河野裕子『家』、高野公彦『水苑』、稲葉京子『天の椿』の五冊であったが、討論を重ねるうちに『家』と『水苑』とに論議が絞られ、さらに慎重に検討を重ねた結果、『水苑』に決定した。
『水苑』は高野公彦第九歌集、本集は在来の作者の歌に比べ、さまざまな点で歌境の深まりが著しく見え、受賞作に相応しいこと、各委員の一致する見解であった。その例のいくつかを次に示す。
雪の夜のコップの中におほぞらのありてかすかに鳥渡りゆく
納豆と豆腐の差より大ならむ宗教と哲学の違ひは
こういう繊細かつ特異な感覚は作者独特のものだが、決して綺想というのではなく、歌の本来に立つゆたかな詩性が感じられる。
教へ子のをとめと飲めば酔ひ早し
居眠りをしてゐる乙女ほの明き体の中のその白牡丹
教室で歌教へつつわがこころ或る日岬のごとくさびしき
女子大生という、作者にとっては新しい素材が生き生きと詠まれている。甘やかな匂い、そこはかとなく艶なるものがただよう。こういう艶なるものを詠みながら、一方で身に迫る老いを憂い、人間の生きるよろこびとかなしみをそれとなく伝える。これら、短歌という詩形の広がりと奥行とを十分に感じさせて新鮮である。
老化する身を覚まさむと時折は歯をみがくのに左手使ふ
関節の正しく五十五年間うごくを謝して雨夜あゆめり
また、時代への批判を内在する鋭い歌も少なくない。
とびとびに原発のある豊葦原瑞穂国よ吃水ふかし
日本良しさくら美しされど憂したとへば
放置され徐々に錆びゆく自転車は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
と言ふにかあらむ
父母を思う歌は作者の加齢とともに濃くまた
母亡くていま父亡くて砂浜を行けばきしきしと
戻り来て喪服しまへばふるさとは遠し父亡きことさへ遠し
歴史や民俗にことよせる歌、ユーモラスでシニカルな歌、きめこまかく、かつ自在に詠まれている。
〈鉄幹〉は
己が身に塩ふりてのち家に入るさびしき慣ひ死者見てをらむ
最後に気の利いた一首。
誤解もて歌
この選評も右のように思われることになろうか。