著者 | 吉野昌夫 | ||
---|---|---|---|
タイトル | 媚びず怖れず―潔い抒情― | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 13回[1998年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 選評 |
「あとがき」に《今思ふことは、「短歌」でなければ表現出来ないことを歌つて来たかといふことである。常に、「詩歌とは何か」「われとは誰か」といふ原点で作歌してゆきたいと願つてゐる。》とあるが、
・白髪を染めてかくさむものもなし老いは美しき稔りならねば
・幾度も死期とはぐれし戦中派と言はずもがなを言ひて嫌はる
・
などは、「短歌」でなければ表現できない自画像と言ってよいであろう。戦中派といえば、
・地に低く生ふる
・戦争のをはりし後も帰化植物は黄の花喬く村を包囲す
・戦争は巨大なる無為と知るまでのかなしく永き昭和史を閉づ
なども、あの忌わしい記憶の糸をひいてずっしり重い。簡潔でべたべたしない表現、発想にどこか女性ばなれしたものを感じさせるが、ことに臨んで、溺れることなく、「あとがき」にいう「原点」=「詩歌とは」「われとは」を常に問い質そうとする作歌姿勢と、生得の知的感性によるものであろう。
・咲けばはや散るを惜しまぬ白萩の風ありて萩萩ありて露
・蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬものこの世に在りて闇に入る蝶
・人といふこのふたしかな多面体気まぐれにして蜥蝪と遊ぶ
「咲けばはや散るを惜しまぬ」白萩、「蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬ」闇、「人といふこのふたしかな」人間存在――はその「原点」の探りあてたもの。いわゆる短歌用語をさけていると思われる文体もさわやかである。
・而して蟻地獄のただ待つ生をわれはときどき立ちて見にゆく
・それぞれの秋を生きてはめぐり会ふ木や鳥や人やああ雲も行く
・罪滅しの罪もなすなき生きの日の平凡といふこのつまらなさ
・森棲みのもそろもそろの蝦蟇に似て世渡り下手は先祖ゆづりか
・のび盛り生意気盛り花盛り 老い盛りとぞ言はせたきもの
・モナリザが真底楽しく笑ふまで見とどけたくて風邪をひきたり
・人間であること少しも疑はぬこの生を得て雨降れば傘
・老化する脳の発するひとりごと多くは壁の耳が聞きゐむ
折々の心のひだを、生の嘆きを、客体化された自らともいうべき「壁の耳」のとらえた自ら……を掬いあげて自在。時おりのぞかせるユーモアは潔い生き方のゆとりであろう。「いやしさ」の感じられないのが何より貴い。
作品を通してしか識る所のないこの著者と五月、北上で対面できるのが楽しみである。