著者 | 中根 誠 | ||
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タイトル | 鳥の声 | ||
出版年月/出版社 | 2024年5月/角川文化振興財団 | 受賞回[年] | 40回[2025年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 作品 |
[略歴]
一九四一年、茨城県鉾田市生まれ。元高校教諭。歌誌『まひる野』に入会、窪田章一郎に師事。現在、運営・編集委員。歌集に『あられふり』『境界』『秋のモテット』など六冊。歌書に『兵たりき―川口常孝の生涯』『プレス・コードの影 GHQの短歌雑誌検閲の実態』など。
[受賞のことば]
関東平野の端っこ茨城県の海沿いの町に住み続けて歳をとりました。東に鹿島灘という海、南に利根川、西に霞ヶ浦・北浦、北に涸沼という湖に抱かれているような土地です。少年時代と比べれば人の暮らしと自然は変化しましたが、辛うじて自然児の心を保って生きられたようで、有難く思っています。一方で、世界各地の戦争・紛争、国内に多発する自然災害など心の痛むことが少なくありません。私の町の野鳥たちは、それらを超えて力強く、また穏やかに鳴いて私を慰めてくれます。選考委員、関係者の方々に、心より感謝申し上げます。
[作品抄出]
はるかなる越冬地からの誘惑にふるへる鳥か十月の森
海に意思のあるといふ説海岸に打ちあげられた流木、破船
このあたりまでは「おはやう」、町内のこの先「ございます」を付け足す
仲良しの嫁さん同士老いたれば車椅子にてただすれ違ふ
豆腐屋の前を素通りしただけで少し惚けたといふ噂たつ
原研の土地ともなればそれを借り豊岡向渚墓地あり
六畳の傾く部屋に共寝せる妻ありき今も傾ける部屋
足の爪を切らむと今日の新聞を広ぐる時のプレート静か
七十代とおぼしき妻が夢に出で廊下に転ぶ久方ぶりに
三年の月日は響きつつ去りぬ星くづの妻地虫のわれや
後姿の似るといふこと切なくて銀杏落葉の道に追ひ越さず
心の杖などあるものかスニーカーのこの足橋を渡りきりたり
鰻屋の二階にひとり酒を吞み霞ヶ浦を渡る神見る
「敵機」をば「米機」に変更せよといふ民間検閲局の指示あり 従ふ
応戦のやがて止みぬとある父の日記の「敵」は上海の兵
スポーツへ昇華しきれずむき出しの戦意ありたりオリンピックに
船溜まりに立ちたる十本ほどの棒八本に見ゆる堤に休む
ウクライナへの露国の侵攻映像を見ればはるかな南京陥落
ゼレンスキーが喜劇役者に戻るまで耐ふる時間をわれは祈らむ
乳牛が立ち上がるとき蠅たちはいつものやうに驚くふりす
朝五時と六時のニュース同じにてその間およそ国は変らず
パン屑を鳥にやりたくない朝もあるのだ難民船難破して
前列の配属将校切り取られ空白が立つ全校写真
川へ靡きひともと咲ける花大根に触れてわたしは家に戻らむ
ハイタカが恐ろしいのはその翼引き締むるとき小鳥らは知る
チヤウゲンバウとカラスは休戦したくなり芽吹きの森に沈みてゆきぬ
鯖缶の水煮か味噌煮選りがたくスーパー奥の死角に立てり
不安とは現実に杖突き立つるごとくに強き思ひとも知る
神か熊かと噂膨らむOSO18撃たれて痩せた肉は売らるる
バードバスの水は澄みたりをととひのかみなり雲の水を飲むハト
(掲載作選出・川野里子)