著者 | 高野公彦 | ||
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タイトル | 水苑 | ||
出版年月/出版社 | 2000年12月/砂子屋書房 | 受賞回[年] | 16回[2001年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 作品 |
[略歴]
一九四一年十二月十日愛媛県生まれ。東京教育大学文学部卒。六四年「コスモス」入会。現在、選者。六七年河出書房に入社、九三年退社。九三年より「日経歌壇」の選者。歌集に『汽水の光』『淡青』『雨月』『水行』など。九七年『天泣』で若山牧水賞。二〇〇一年『水苑』で迢空賞。評論集に『地球時計の瞑想』『うたの前線』など。
[受賞のことば]
ことし還暦を迎へた。何だか年寄りになつたやうで嬉しくない。還暦といふ言葉がいけないのだ。華甲といふ言葉を使はう。こつちの方が花がある。そんなことを考へてゐたところへ、賞の知らせが届き、じわじわと喜びが湧いてきた。そしてこんな戯れの句を作つた。
北上の柳見にゆく華甲かな 公彦
私は『一握の砂』を読んで短歌を始めた人間だから、受賞式の日は北上川の柳を見て啄木さんに礼を言はう、と思つたのである。今は、選考委員の皆様に感謝。
[作品抄出]
雪の夜のコップの中におほぞらのありてかすかに鳥渡りゆく
とびとびに原発のある豊葦原瑞穂国よ吃水ふかし
教へ子のをとめと飲めば酔ひ早し
路地多き浦安ゆけばふるさとの犬の顔した犬歩みくる
これがまあ
老化する身を覚まさむと時折は歯をみがくのに左手使ふ
日本良しさくら美しされど憂したとへば
放置され徐々に錆びゆく自転車は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言ふにかあらむ
「放置自転車」よりも寂しく寒きもの「放置老人」「放置嬰児」
納豆と豆腐の差より大ならむ宗教と哲学の違ひは
さる人を神とあがめて暗黒に入りし日本の一時代あり
誤解もて歌
居眠りをしてゐる乙女ほの明き体の中のその白牡丹
教室で歌教へつつわがこころ或る日岬のごとくさびしき
〈鉄幹〉は
関節の正しく五十五年間うごくを謝して雨夜あゆめり
水槽の灯あかりのなかやはらかに平仮名泳ぎするヌマエビよ
つはぶきの花
寂しいか寂しくないかしんしんと森に育ちて柩となる樹
母亡くていま父亡くて砂浜を行けばきしきしと
戻り来て喪服しまへばふるさとは遠し父亡きことさへ遠し
乙女らの内を流るる〈
卓上のどんぐりの実は木のこゑを秘めてしづけし冬の
電車にてねむる少女よその耳をしづかに照らす銀の曇天
をさな児のゐる家良けれ箸立てに箸並びゐて長と短あり
己が身に塩ふりてのち家に入るさびしき慣ひ死者見てをらむ
ひきだしの中にふろしき、ふろしきの中に亡児のこゑあり四月
(掲載作選出・来嶋靖生)