築地正子『みどりなりけり』(1997年3月/砂子屋書房)

著者 築地正子
タイトル みどりなりけり
出版年月/出版社 1997年3月/砂子屋書房 受賞回[年] 13回[1998年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九二〇年一月一日、東京生れ。実践女子専門学校国文科卒。『花綵列島』(八〇年)で現代歌人協会賞。『菜切川』(八五年)で熊日文学賞、現代短歌女流賞。

[受賞のことば]
  授賞のお知らせをいただいたのは、〈みどりなりけり〉を上梓してから約一年経た日であつた。思ひがけぬ重い賞に驚き、心を熱くした。会員として五十年余りお教へを受けた〈心の花〉が、恰も創刊百年を迎へる年でもある。誠に嬉しく深く感謝してゐる。
 地方の一隅にのんびりと生きてゐる雑草に、突然太陽光が射したとて、向日葵になる筈もないけれど、余命を賜はらば、脱皮して新しい自己発見に努力したいと思つてゐたので、鮮しい生きる力と、勇気を与へて下さつた。有難いことである。

  
[作品抄出]

野の鳥ののみど伸ばして呑むみれば湧水甘き春となりたり

老人の枯葉の耳にも伝へてよ青鳩の仔の今朝巣立てるを

水蹴りて青き芦生を出で入るは恋の水鳥めしひなるべし

祖国この冥きひびきの染みつける老身いづくより朽ちゆかむ

選ばるる矜りと選ばれざる矜り胸に問ひゆく一生と知れよ

草の絮しきりに飛べる野のつかさ風の本音の見ゆるまで見む

風聞の中にし還りくるのみの離郷者たちの少しく瘦せて

飽きもせで生きゐるわれの森ふかく春が賜へる山椒ひともと

一茎の荒地野菊が一行の詩句とぞなりて瞳にそよぐかな

わが四囲の無量の秋を萩は萩菊は菊なるかなしさを咲く

白萩はおのれそよぐと見せながら花散るたびに身軽くならむ

素枯るれど月の光を養ひに菊は菊の香いやしくはなし

戦争のをはりし後も帰化植物は黄の花喬く村を包囲す

冬森はあたたかきかなもの言はぬ無名の木らの集るところ

蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬものこの世に在りて闇に入る蝶

麦の芽はいまだ稚くて繊ければなんにも知らず緑なりけり

戦争は巨大なる無為と知るまでのかなしく永き昭和史を閉づ

字引より閑雲野鶴の語を拾ひわが森棲みも美学となりつ

萌黄いろ若苗いろとふこまやかな日本語ありて秋萌ゆる草

ひたすらにもの編みてゐる沈黙のかたちよろしき老女とならむ

人といふこのふたしかな多面体気まぐれにして蜥蝪と遊ぶ

薬草を煎じて老いをいとひゐる友らはいかにゐむこの大寒波

末枯れゆく一命なほぞ立たせゐる芦と芦とが相打ちて鳴る

罪滅しの罪もなすなき生きの日の平凡といふこのつまらなさ

一本の木よりも繊く佇ちゐれば月は光の軽羅を賜ふ

父もまた若き離郷者なりし日の明治の勇気塩のごとけむ

一本の麦が青き穂をささげをり流れつきたる小川の岸辺

人間であること少しも疑はぬこの生を得て雨降れば傘

阿蘇はいま静かなれども火を抱く山を怖れずあなどらず棲む

常若の月天に置き阿蘇恋ひの春秋古りてわれも古りゆく

村棲みに慣れて思へば農婦らに女言葉のなくて草刈る

古雛のあけの唇もの言はずものを食まずてひねもすの春

降る雪に花のくれなゐまみれつつ己が名惜しまむ女人紅梅

森といふ植物界にの生のこころあづけてみどりなりけり

背信の古傷なめて冬過ぎて春は桜とまた言ひてをり

(掲載作選出・春日井 建)

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