細見綾子「『怒濤』について」

著者 細見綾子
タイトル 『怒濤』について
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 2回[1987年]
分野 俳句部門 分類 選評

  本年度の「詩歌文学館賞・現代俳句部門」は加藤楸邨氏の『怒濤』に決定した。
 『怒濤』は昭和五十一年から六十一年にわたる十年間の作品七一一句を収めた氏の第十二句集である。
  第一句集『寒雷』が出たのは昭和十四年、今から約五十年以前ということになる。それ以後の句集名をあげて見ると、『颱風眼』『穂高』
『雪後の天』『沙漠の鶴』『火の記憶』『野哭』『起伏』『山脈』『まぼろしの鹿』『吹越』。この句集名のどの一つを取り上げてみても楸邨氏の俳句と思想が歴然と読みとれる。作品の一つ一つを読むより先きにこの句集名に人々は一撃を受けたのではないか。私などはその独特の斬新さにその都度目を見ひらかされた。
 一言にしていえば、これ等の句集名は、楸邨氏の句業そのものを端的に語っている。一貫して流れている真摯な力強さにあらためて驚かざるを得ない。
 今、それぞれの句集を一々あげて感想をのべることは出来ないが、この度の第十二句集『怒濤』はこの一貫して流れるものの延長線上にあることは勿論であるが、更にその輪を広め、且つ深めたきびしさのあとを知るのである。このきびしさこそ楸邨氏の特長と思うが、この『怒濤』に於てはその上に俳諧自由というか、円熟というか、無碍なる世界がいたる所に展開されていることが大きな特長と思う。
 芭蕉の研究家であり、また芭蕉への傾倒を示しつづけて来た楸邨氏が「芭蕉に打ち込めば打ちこむ程、ふとした拍子に一茶が心になだれ込んでくることを感ずることがある」と『飛花落葉』に述懐している。これは氏を知る上に大切な言葉である。この句集『怒濤』には右の述懐のうなずける点が多く見うけられる。
 きりきりと胡瓜刻むや塗師ぬしが妻          五十一年
 わが見ねど子とその母に渡り鳥      〃
 斧あげて風におどろくいぼむしり     〃
 深霧に安んじて腹を立ててをり      〃
 下駄流れ堤焼かるる毛馬磧       五十二年
 もの言へば茅花のそよぐやうに言ふ    〃
 妻の声の万化の一つ雀の子        〃
 灼け沙を握り心中何か握る        〃
 客去れば笹鳴とわが時間かな       〃
 蜂に螫されし男の顔の置きどころ    五十三年
 猫が子を咥へてあるく豪雨かな     五十五年
 ポケットに山繭ありてこゑなごむ     〃
 すれちがふ子につけられぬ草虱      〃
 秋の風むかしは虚空声ありき       〃
 雀の子一羽のための入日どき      五十六年
 くさめしてそのままに世を誹るなり    〃
 牡丹の奥に怒濤怒濤の奥に牡丹     五十八年
 沙漠に病みし日より天の川ものを言ふ   〃
 など、多彩に自由に詠まれていることに深く関心を持った。
 六十一年一月に知世子夫人が亡くなられた。この永別の悲嘆は言語に絶するものであったにちがいない。巻末の永別十一句は読む者を強く把えて止まない。多言を要せず俳句作品を以て語らしめている。その中の数句をあげることにしたい。
 豪霜よ誰も居らざる紅梅よ
 冬の薔薇すさまじきまで向うむき
 霜柱どの一本も目ざめをり
 冬木立入りて出でくるもののなし
 裸木にひたすらな顔残したり
 虚空雪降る一途なる妻遊べる妻
 など。
 悲しみを主とした作品ながらこの巻末の一群の作は『怒濤』の盛り上がりを見せて立派である。楸邨氏の詩魂の健在をたたえてあまりあるものがある。
 年譜を見るとわかるように氏は何回もにわたってシルクロードをはじめ長途の旅にいどまれ、また病気入院の回をも重ね、その起伏のただ中で多くの句集を出された。
 そして今度『怒濤』はその頂点として大きなうねりを示されたのであった。

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