平井照敏「切なさ、やわらか味、俳諧」

著者 平井照敏
タイトル 切なさ、やわらか味、俳諧
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 13回[1998年]
分野 俳句部門 分類 選評

  選考は飯島晴子・深見けん二・平井照敏によっておこなわれ、各自二、三冊の句集を推薦、審査したのであった。幸い、川崎展宏『秋』が全員の意中にあり、異議なく授賞に決定したのは、まことに気持よい結果だった。とはいえ、飯島委員より、これは私家版的出版で入手は困難なものだが、『河原枇杷男句集』は見直しすべしと強調され、すぐれた前衛作家もこのように無視されてしまうと力をすぼませてしまうのが残念と指摘されたことは、今後反芻されてゆくべき重要な発言であったろう。ほかに深見委員は清崎敏郎『凡』のしたたかな成果について、平井委員は石原八束『仮幻』の重厚な詩味について、飯島・平井両委員は大峯あきら『夏の峠』の深まりについて、推薦の弁をつらねた。年間の業績が対象なのであるから、幾つもの秀品が数え上げられるのは当然だが、選考の場がかわることで、それらについての評価のずれが大きくあらわれるのは、俳句価値観のかつてない多様化と評価の閉鎖性をあらわしているのだろうと思う。ほんとうによい句へのフランクで闊達な追求が必要と思われた。そして『秋』の選定は、その意味でも、理想的な結論となったのである。
 『秋』は著者の第五句集。読売文学賞を得た『夏』につづく円熟の作品集である。私はこの句集を読んで、作者はいま日本で、作句の現場をありありと伝えることのできる唯一の存在だとつくづく感ずる。それとともに挨拶句の数が多いことにおどろかされる。そのことについてふみこんで考えてみよう。
夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる
いましがた出かけられしが梅雨の雷
  たとえばこの二句。前句は師加藤楸邨の、後句は井伏鱒二の追悼句。ともに平成五年の七月に作られている。前句は三日入棺された楸邨のお顔への畏怖を全力でうたっているもので、楸邨直伝のうたい方である。作者が「なんて美しいお顔だ」と三度くりかえすのを私はその背後でたしかに聞いた。後句はもうすこし気楽にうたえたのだろうが、大好きだった井伏鱒二、十日のその死のおどろきを、鱒二世界の俳の雰囲気でさらりとまとめたのである。句としてはこちらがずっとうまいが、そのかわり前句には全身の切なさがこもって強く打たれるほかはないのである。
  この作家には二人の大きな師父がいるのだ。楸邨と虚子である。楸邨からは真実感合の真摯な切ない表出を学び、虚子からは、芸術の極意はやわらか味という骨髄を学んだのである。それは作者の挨拶句多作の理由にもなっていよう。作者の俳諧開花ということだ。
  俳句の根柢を切なさといい、やわらかさだという作者は、感情を高く貴く柔和な線にあらわす。その句はあたたかく表情ゆたかに精神をきらめかす。それは自在な嬉戯のごとく、このような句境は、今日、二人と見られないものだろう。まことに明快な喜ばしい決定であった。

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