加藤治郎「風土と生」

著者 加藤治郎
タイトル 風土と生
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 39回[2024年]
分野 短歌部門 分類 選評

  雪としてありし山より流れ出でゆたかなるかな春の犀川
  いたぶるを歓びとする神ゆゑのあばれ祭りをこぞ見たりけり
  一滴の水も流れて入りにける朝な朝なの日本海かな
 三井ゆきさんは、石川県輪島市に生まれた。東京での生活の後、金沢市に移り住んでいる。歌集『水平線』には風土と生が一つになってゆく様が歌われている。ときおり水を思い描く。山では雪としてある水は春になると流れ出る。犀川が愛おしい。心が躍る。風土は言葉によって輝く。
  能登町宇出津(うしつ) の八坂神社のあばれ祭である。神輿を海や川、火の中に投げ込んだりする勇壮な祭りだ。いたぶることが神の歓びだと歌う。自然への畏敬の念が込められている。祭りは風土と人々が一体化した儀礼であり情念である。歌われて胸に刻まれる。
 一滴の水に雨粒を想起してよい。水は流れる。海に至るのだ。毎朝、日本海を見る。遥か水平線が見えるのだ。一滴の水から海に展開する。そのダイナミズムが響いてくる。晴れやかな歌である。健やかな精神を感じることができる。
  かにかくに飾らず生きむ願ひあり能登の藻塩のうすべにを振る
  胸深く湛へし水は湧水となりて山より流れくだれり
  金沢を貫く川の犀川の下菊橋に思ひ出のあり
 歌は齢の深まりとともにある。歌が風土と生を結びつけることは幸いである。能登半島の沖で海水を取り、昔ながらの製法で作る藻塩がある。美しい営みだ。その塩を使うとき自らの生が思われる。飾らず生きる。その願いは能登の藻塩によって深まる。
 胸深く湛えたのは私の心の水である。幾年かけて思いはいっぱいになる。それが湧水となる。山より流れ下る。心と風景が滑らかに繫がっている。奇跡のようだ。風土と生の窮みにある歌である。それでいて慎ましい。
 犀川は室生犀星に愛された川である。詩歌で歌い継がれる。下菊橋はどんな橋だろう。想像すると楽しい。鄙びた橋を思い浮かべた。思い出は何だろう。ほんのり恋の情緒を感じてもよい。
  左足鐙にかけて背をまたぐ馬の鬣つかみながらに
  好きなやうに生きてよき日の晩年のわれは馬上の人となりをり
  あをあをと頭剃りたき欲求は間歇的にわれを襲ひぬ
  ワンピースとポケット好きのわたくしに夏がきたりて日傘をひらく
 こういう生き生きした有り様も歌集の魅力である。自由闊達である。乗馬の歌が眩しい。馬の鬣を摑むという荒々しさに瞠目する。ワンピースの歌には茶目っ気さえ感じられる。飾らず生きること。好きなように生きること。それらが両輪となっている。

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