著者 | 三井ゆき | ||
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タイトル | 水平線 | ||
出版年月/出版社 | 2023年6月/角川文化振興財団 | 受賞回[年] | 39回[2024年] |
分野 | 短歌部門 | 分類 | 作品 |
[略歴]
一九三九年、石川県輪島市生まれ。中学校の全校短歌俳句大会ではじめて短歌をつくる。歌誌『短歌人』所属。歌集に『曙橋まで』(泉鏡花記念金沢市民文学賞)、『能登往還』(ながらみ現代短歌賞)、『天蓋天涯』(日本歌人クラブ賞)など。石川県文芸協会理事。金沢市在住。
[受賞のことば]
私は能登半島の輪島出身ですので、このたびの受賞は私自身の力というよりも、能登に対するみなさまのやさしさのおかげではないかとおもわないではありませんが、とにかく能登のためによかったと思い定めることにいたしました。ささやかな分野ですが、短歌という詩型にはどんなことでもどんと受け止めてくれる強さがあります。被災地はいまだに困難のただなかにありますが、ひとりでも多くの方が、その痛切な心情をこの短詩型に託して前向きになっていただけたらと、祈るようなおもいでおります。ありがとうございました。
[作品抄出]
霜月のある日の永訣われのみの知る表情も消えはてにけり
べきべきと蟹を喰らひし能登の人坪野哲久は荒波の人
雪としてありし山より流れ出でゆたかなるかな春の犀川
帰るべき所は何処か分からねど鍵さし開くひとつの扉
三峡をゆく舟のうへ跳び移りし猿の母親の腸のずたずた
肩車されて帰りし夜の道父と幼きわれありにけり
つね半旗なる身の内を流れゆく屠蘇の香りにこの年も明く
生牡蠣にしぼる酢橘の芳香に浮かびきたれる遠きやまなみ
いたぶるを歓びとする神ゆゑのあばれ祭りをこぞ見たりけり
一滴の水も流れて入りにける朝な朝なの日本海かな
醬油さん味噌さんたちの住む町の水路にゆるる春のひかりは
生まれてはいくども生まれかはりては浜大根の花のやさしさ
左足鐙にかけて背をまたぐ馬の鬣つかみながらに
夕やけがつばさを広げ呼ぶからに椋鳥も雀もねぐらへ帰る
好きなやうに生きてよき日の晩年のわれは馬上の人となりをり
生きてゐる人より亡き人多くしてゑのころ草が逆光に照る
一の橋二の橋三の橋のした流るる水は教典ならむ
あをあをと頭剃りたき欲求は間歇的にわれを襲ひぬ
地獄とは深さならむか鉱山の八番坑まで降りに降る
しろがねの雨降るからに逢ひたけれ糸のごときをつかみてのぼる
骨折の手首の痕を見せあへり乗馬クラブの所長とわれは
行先に書きある地名を疑はず運ばれてゆく朝もやのなか
かにかくに飾らず生きむ願ひあり能登の藻塩のうすべにを振る
雪の日は雪を楽しみ雨の日は雨をたのしむ齢のちから
火がなければ喫へぬ煙草を指にもち所在なげとはかういふ形
ワンピースとポケット好きのわたくしに夏がきたりて日傘をひらく
うつくしき降り方をして過ぎにけるしぐれののちの青きやまなみ
胸深く湛へし水は湧水となりて山より流れくだれり
渡り来る鳥の思ひのひたすらをひたと受けとむ能登の渚辺
金沢を貫く川の犀川の下菊橋に思ひ出のあり
(掲載作選出・加藤治郎)