鍵和田秞子「正眼に生きて」

著者 鍵和田秞子
タイトル 正眼に生きて
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 30回[2015年]
分野 俳句部門 分類 選評

 『正眼』の著者大牧広氏は昭和六年東京生まれ。中学時代に敗戦を迎えた昭和一桁世代である。戦争末期から戦後の混乱期を生き延びたこの世代は戦後七十年を経た現在も心の底に戦禍を秘め、忘れ得ない傷痕を抱えている。
    秋風や征きたる駅は無人駅
    花咲きし頃や夜毎のB29
    泥鰌鍋この街かつて焦土なり
  出征兵士を見送った駅(母親たちや小学生が日の丸の小旗を振って送った)は今、無人駅となり、町も寂れ、秋風が吹くばかり。この秋風は冷えびえと淋しいだけでなく当時を知る作者の悲痛な嘆きの声であろう。
 アメリカの爆撃機B29は夜、本土空襲に飛来した。昭和二十年春から東京大空襲を手始めに地方の小都市まで五ヶ月程で殆ど全滅させ、一夜にして町は焦土と化した。まさに忘れようのない惨状であった。作者は秋風にも桜にも或は泥鰌鍋を囲む時にも、戦時下を思い出し句に詠まずにはいられないのである。
    エスカレーターがくりがくりと開戦日
    栗剝くや昭和の暗部語りつつ
  十二月八日、今日は開戦日だと思いながらエスカレーターに乗る。一段毎にがくがくする動き、一度乗ると途中で降りられずひたすら上へ引かれてゆく。戦争への突入を暗示する動きだ。栗を剝く難儀は暗部を堀り起す話題にふさわしい。身体に沁み込んでいる戦争体験は、こうした何気ない日常生活に浮かび上る。作者の鋭い詩的感性とたゆまぬ追求が昭和を呼びさまし佳吟を生むのである。
 句集名の『正眼』について帯文に「正眼をつらぬいた日常でありたい」「作句はそれが守られているかどうかの確認となる」「うすうすと見えてきた持時間をひたすら誠実に詠んでゆく」と書かれている。「正眼」は剣の切先を相手の眼に向ける構え方と言うから、対象に真正面から対峙することであろう。生き方も句作も正眼で真正直に真剣に、言わば命がけでの志と受け取れる。
    正眼の父の遺影に雪が降る
    正眼を通す梟には勝てず
 「正眼」を用いた二句である。正眼は父上からの遺伝的な身の処し方らしい。そう思って本書を読めば正に正眼の生き方が詠まれている。物の核心をずばりと表現し、技巧でのベールは用いない。率直で作者の心がそのままストレートに伝わってくる。作者の志は確かに行きわたっている。「八十三歳の齢の証しをこめたつもり」と「あとがき」に記された通りである。
 その齢の証として、八十代では老をどう詠むかが重大事である。
    桐一葉運河も年をとりにけり
    すこしづつ壊れてゆきし秋すだれ
    ひたすらに鉄路灼けゐて晩年へ
  右の「桐一葉」や「秋すだれ」に老を託した句が私は好きである。ゆったりと心に満ちて来るものがある。鉄路の灼けに晩年を思う句は「正眼」に最も相応しい秀吟であろう。

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