小池光『サーベルと燕』(2022年8月/砂子屋書房)

著者 小池光
タイトル サーベルと燕
出版年月/出版社 2022年8月/砂子屋書房 受賞回[年] 38回[2023年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九四七年、宮城県生。東北大学理学部卒。歌集に『バルサの翼』(現代歌人協会賞)、『草の庭』(寺山修司短歌賞)、『時のめぐりに』(迢空賞)、『思川の岸辺』(読売文学賞)など。エッセイ集に『うたの動物記』(日本エッセイスト・クラブ賞)など。読売新聞ほか歌壇選者。埼玉県在住。

[受賞のことば]
  二十代のなかばで現代短歌というものに遭遇して熱中し、気が付いてみればそれから五十年が過ぎていた。よく続いたものだとわれながら少しおどろくが、この間、短歌に対する興味が薄まることはなかったので、なんというか、いわば水が合っていたのである。
  このたび詩歌文学館賞という大きな賞をいただくことになり、わけてもうれしく、選考委員の方々、関係者の方々にこころからお礼申し上げたい。わたしは宮城県で生まれ育った根っからの東北人なので、詩歌文学館が東北にあることが嬉しいのである。

[作品抄出]

四十歳になりたるわが() と凧揚げす元日の空に凧あがりたり

一瞬に金魚すくひの紙やぶれかなしみふかきこどもなりしか

鼻毛出てる鼻毛を切れとむすめ言ふ会ふたびごとにつよく言ふなり

籠のカナリア逃してしまひしその日より六十余年がひらりと過ぎつ

谷川雁「毛沢東」の一行がおもひだされて冬の蜂あるく

「国境なき医師団」に月々わづかなる金おくりゐし妻をおもふも

つつじの花ちぎりて花の蜜を吸ふわれはひよどり子あり妻なし

百六年十ヶ月あまり生き抜きて母のいのちは此処に(をは) りぬ

いつの日もきつく抱きしめをりたりしパンダのぬひぐるみを柩に入れつ

骨壺にはんぶんもなき母の骨  骨の一片まで生き抜きたりし

夏と志野ふたりのむすめわれにありきみが苦しみ生みくれしおもふ

亡き妻の老眼鏡を手にとればレンズはふかく曇りてゐたり

「ままへ  いきてるといいね」の手紙より八年の時はながれて過ぎぬ

七十歳で死にたる斎藤茂吉より年上となり歌がぼろぼろ

札幌の住宅街に出でし熊民意によりてころされにけり

をさなごはコアラのマーチを食べをりつひとつを乞へばひとつ呉れたり

正倉院蘭奢待(らんじやたい) () はいかならむいのちをもちてわれに迫らむ

ミケランジェロ「ピエタ」の指にもウイルスはひめやかにして迫りつつあり

ピサの斜塔かたむきはじめて幾百年パンデミックの中に立ちつつ

両耳がここについててよかつたとマスクをつけるたびにおもへり

無観客の弓取式はどこかしらルネ・マグリットの絵をみるごとし

人類史にのこるわざはひの日々を生きて歌の結句に苦しむわれは

ふるさとの山の隧道の入り口にいづみが湧きてゐたるかなしさ

わが乗れる電車に手を振るこどもありわれ振りかへす昭和のごとく

癌を病む妻のかたへに書きたりし『うたの動物記』をわが懐かしむ

マグネシウム() くフラッシュの良き時代マリリン・モンローこちらを向けり

進行の詳細を知り尽くすゆゑ一切拒否して死に向かひたり

松葉牡丹の花をうたひて色彩のとびちる如し斎藤茂吉

ふるさとに沼の(いり) とふ集落あり三軒四軒の家ありしのみ

奥歯いつぽんほろりと取れて瞑目す東西南北なむあみだぶつ

(掲載作選出・米川千嘉子)

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