加藤楸邨『怒濤』(1986年12月/花神社)

著者 加藤楸邨
タイトル 怒濤
出版年月/出版社 1986年12月/花神社 受賞回[年] 2回[1987年]
分野 俳句部門 分類 作品

[略歴]
  明治三十八年五月二十六日、東京生れ。東京文理大卒。「月刊寒雷」主宰。昭和四十三年『まぼろしの鹿』で第二回蛇笏賞受賞。主な作品に『寒雷』『雪後の天』『山脈』『吹越』『加藤楸邨全集』がある。俳文学会、現代俳句協会会員。

[受賞のことば]
  詩歌文学館賞をいただき、ありがたうございました。
 私の最初の頃から俳句を作るにあたつて心がけてきたことは、俳句を自分の生きてゆく歩み方と何とかして一枚にしてゆくことはできないものかといふことでした。私が句を詠めばそこに私の生き方が匂ひ、私の作品がそこに存在するといふゆき方ができたら、どんなに心が安らぐかといふ気持はずつと持ちつづけ、今もその思ひの中に居ります。

 
[作品抄出]

   八月、八戸行
雨雲と渋民過ぎぬ竹煮草
   飛驒千光寺にて
円空の一刀二刀鳥交る

蜂に螫されし男の顔の置きどころ

へくそかづら見しことだけを呟きぬ

蟬の音の棒の折れたるごとく止む

芭蕉忌を一日おくれてしぐれけり

父母遠し粽は今も立ちて食ふ

掌にひびく岩へぎ海苔の怒濤かな

鱈切つて思ひ出したり北斗星

枇杷啜る片手の一つ日にかざし

修羅の世に山繭のいろほのぼのと

ひきだしのどれからも出て鬼胡桃

猫が子を咥へてあるく豪雨かな

秋の風むかしは虚空声ありき

晩菊に目がゆけば皆黙りける

黙す父黙す母子に天の川

くさめしてそのままに世を誹るなり
   万里の長城にて
灼けてえんえん蟻に太陽も若かりき

わが詠めばつりがねにんじん揺れにけり

禰宜ばつた髭をつまんで棄てられぬ
   隠岐二句
五月牧畑まきはた馬に怒濤はのびあがり

牡丹の奥に怒濤怒濤の奥に牡丹

くらがりやかさと鳴りしは笹粽

沙漠に病みし日より天の川ものを言ふ

鰤切つて女のこゑを出しにけり

一茶忌ぞよごみのやうなる雀ども

しやくとりのとりにがしたる虚空かな

柚子捥げばそこにありたる二日月

松過ぎの只の太陽はしりをり

土につくまで牡丹雪重かりき

満月下にて白魚の目なりけり

東京の空の上に空雁が行き

葉桜や真赤な夕日揉み揉まれ

竹打てば梅雨の竹林みな応ず

沢蟹を蹤いてくる子に不意にやる

蓮若葉雨のかたまりのびちぢみ

路地に湧くさまざまの声鰯雲

壺に插し雞頭遠くなりにけり

寝返れば初松風となりにけり

淵の深さやあとからあとから牡丹雪

麦踏のいつしかゐなくなりて月

野火を見るひとの言葉を聞くごとく

何か言ひたげてのひらはもう春の月

牡丹ざくらを満月離れはじめたり

藪に入り路地に出る径今年竹

めまとひを払ふこの世に何か失せ

入りし蝶出でこず鬱と椎の花

秋刀魚食ふ月夜の柚子を捥いできて

遠目にて野菊つむさまかと思ふ
   永別十一句の中より
豪霜よ誰も居らざる紅梅よ

霜柱どの一本も目ざめをり

冬の薔薇すさまじきまで向うむき

冬木立入りて出でくるもののなし

冬の蝶とはのさざなみ渡りをり

虚空雪降る一途なる妻遊べる妻

寒蘭を見てあればそこにゐたりけり

東京やつくづく遠き冬茜

裸木にひたすらな顔残したり

持主の失せて手帖の冬谺

頰杖の何を見てゐる冬銀河

(掲載作選出=細見綾子)

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