著者 | 渡辺誠一郎 | ||
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タイトル | <ruby><rb>輪舞曲</rb><rp>(</rp><rt>ろんど</rt><rp>)</rp></ruby>の彼方へ | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 37回[2022年] |
分野 | 俳句部門 | 分類 | 選評 |
『遠山陽子俳句集成』に収録されている『
作者は、藤田湘子、飯島晴子、そして三橋敏雄の薫陶を受けている。
今回の句集『
八十歳ただの黄蝶の来ては去る
わが晩秋石塀折れしところから
百円眼鏡かけ百歳の春が見ゆ
「八十歳」の「ただ」は、自画像への転換の鍵の働きをし、「黄蝶」に己の行く末を重ねる。「石塀」の折れた地には、老境に生きる現在の作者の立姿が見える。「百円眼鏡」の俳趣は目線の低さであり、殊の外新鮮である。
月に金星われは独りで米寿になる
謎のないわたしと老いた梟と
わが髪より白きものなし大花野
自らの存在を、生きとし生けるものとして、大きな時空の中に捉え、感慨を深める。己自身への眼差しに諧謔が絶妙に絡み、その世界は暖かく豊かな世界。「大花野」は、作者の心象を奥深く捉えている。
作者は十三歳で終戦を迎えた戦争を知る世代。今回の句集では、師三橋と同じ様に、戦争についても印象深い世界を見せている。
叫喚は蟻の穴より敗戦日
日の丸を嚙み一月の天袋
闇米を食べてぞ育ちせりなずな
果て知れぬ花の奈落やわが昭和
「叫喚」は生々しい確かな実感である。「日の丸」は今も躓きの石としてある。「闇米」を血肉体化する確かさ。不条理な世の奈落を、「花」に託し、時代を冷静に見つめる姿は美しい。戦争は、人生の一つの重い錘のように生々しく存在しているのだ。
さらに、作者らしく思い切りのある爽快な把握、しかも余裕のある詩心のセンスの良さに惹かれる世界も見逃せない。
皇帝ペンギン蹼ひらく夏は来ぬ
春怒濤鶴の屍のごと崩る
風死せり蛇の消化器などおもひ
言の葉のごと風花の舞ひて来し
ほととぎすとうに捨てたる母を恋ひ
いつか来るその日のやうな秋夕焼
北溟にけむりのあがる冬牡丹
『