伊藤比呂美「声に出して読むと」

著者 伊藤比呂美
タイトル 声に出して読むと
出版年月/出版社 - 受賞回[年] 37回[2022年]
分野 詩部門 分類 選評

 すごくおもしろいと思ったのは、言葉の運びが知ってるものだったからというのが大きいんじゃないだろうか。どこかで読んだことがある。どこで、と考えると、70年代の詩だったような気がする。60年代や80年代だったかもしれない。とにかく言葉が拡散して、いきなり途切れて脈絡なさげに続いていくが、全体の流れは不器用なくらいまっすぐで、詩人がひとり、存在していて、考えていて、動いているということだ。その存在の根本をなにか疑っていて、それを探ろう、なんとか手の中につかもうとしているのだ。それでこんなにぶ厚い詩集になり、詩がたくさん入っているのだった。1989年の作品が2篇。90年代が7篇。2001年が1篇。2010年代、東日本大震災、何篇も。2020年代の詩は見あたらない。書き下ろしに入っているのかもしれない。「内面をとにかく、言葉で実況中継したい」と書く詩人が今をうつす詩を入れずに詩集をつくるとは思えない。
 どの詩も声に出して読むと立ち上がってくる。それに気づいたのは選考の間だ。選考委員が、推している人も、推してない人も、田中さんの詩になると、「こんな箇所がある」と声に出して読み始めるのだ。無意識にやっているであろうそれがものすごくおもしろかった。私が声に出して読みたかった(でも読まなかった)のはここだ。「若林、the dead end...」から。

地面の底を流れる北沢川の暗渠、
地面の底を流れる烏山川の暗渠、
それが出合って
目黒川がはじまった
ここを南に進めば坂をくだり三軒茶屋
ここを北に進めば坂をくだり
暗渠の北沢川緑道を越えて下北沢
この危うい二つの支流の分水嶺をさかのぼる前にそう、
淡島で、通りは北沢川を越える

 これはまさに道行きだ、ロードムービーならぬロード詩だと私は感動した。地名が動く。視点が動く。身体が動く。意識が進む。詩集の中では、事件がしょっちゅう起きている。――大地震が起きる。母親が死ぬ。子どもが産まれる。そんな非日常的な大事件が、高尾山へ行ったり、温泉へ行ったり、ゴムバンドが緑色だったり、親子丼を食べたりの毎日の事件とごっちゃにさせられる。まるで古典の芸能のようだが現代詩である。現代詩に対する愛を随所に感じさせられる。それで70年代や、もしかしたら60年代、あるいは80年代の詩をなんとなく想起させられるのだ。吉増剛造さんを追いかけていたと詩の中にあったが、それだけじゃない。鈴木志郎康さん的な何かも感じる。吉岡実さん的な何かも感じる。でも現代詩に拘泥してがんじがらめになったりはしてない。詩人は道行きをくり返しながら、あるときスピードを出し過ぎ、意識もろともどこかへ吹っ飛ばされて、なんだかかろやかになって戻ってきたようだ。

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