田中庸介『ぴんくの砂袋』(2021年1月/思潮社)

著者 田中庸介
タイトル ぴんくの砂袋
出版年月/出版社 2021年1月/思潮社 受賞回[年] 37回[2022年]
分野 詩部門 分類 作品

[略歴]
 一九六九年東京生れ。詩人、細胞生物学者。東京大学医学部講師。八九年「ユリイカの新人」としてデビュー。同年詩誌『妃kisaki』を創刊。既刊詩集に『山が見える日に、』(一九九九年)、『スウィートな群青の夢』(二〇〇八年)、『モン・サン・ミシェルに行きたいな』(二〇一八年)。妻と二女。

[受賞のことば]
 リアリズムとリアリティ、肉体と身体、言語と実践などをめぐる記号論的なウロボロスの環を、現代の詩は内包しています。それゆえ詩の実体はもはや形容不能の地点にあり、ファクチュアルな参照項への合わせ鏡を盾に、じりじりと接近するほかありません。わたしの詩業はおそらく、遥かな賢治に倣い自然科学・仏教・演劇を参照しつつ進み、「鹿踊りのはじまり」をエピグラフとした震災の詩も得ました。まさにそのトポスでこのような賞をいただけるのは望外の喜びで、選考委員ならびに関係者各位に深く感謝の意を表します。

[作品抄出]

大ざっぱに考えて、子どもが産まれたんだから新しい詩が書けなければならない
 と思い込んでいることの憂鬱、月並み、その運動会的発想。
大ざっぱに言って、ことあるごとに自分を吸水率抜群の紙おむつのように脱ぎ捨
 てて、「新しい自分」に置き換えることができると思っているその自分のいい
 かげんさ、無責任さ、能天気さ。
大ざっぱに思うと、新しい人よ目覚めよ、と言ったときに自分がその新しい人に
 なっているに違いないという思い入れ、思い込み、思い上がりというのはどう
 なのよと思うぱつんぱつんの自意識。
を、とらまえる、を、出迎える、を、天然のカラマツ林通称テンカラの林の中を
 歩くような気分のよさでばっさばっさと左右に振り回しながら斬っていく高
 原の駅、その高さ、高度、硬直したペニス。
確実な感じで自分の身体が動いているんだと思えるのは何年ぶりのことなんだろ
 う。
思ったところに思ったように、そう、指が行くのだ、正しいことをする、英語で
 いうとすなわち do the right thing というときのその「正しい」感覚はcorrectじ
 ゃなくてright、すなわち右、きわめて右。
学生のときそそり立っていると思っていた八階建てのこの灰色のコンクリート打
 ちっぱなしの建物もいまでは周りに立った巨大な建築物の間にはさまれて、風
 前の灯。
小さくなっている。
そう、小さいということがこれほどまでに、人の心を打つ。
ものだということは知らなかった。
あかんぼは小さい。
小さく生まれて大きく育つというのはまさにこのことで、例外もなくすべてのあ
 かんぼは小さい。
よって、うちのあかんぼも小さい。
ありがとう小さい人よ、きみが肉に覆われてだんだん大きくなっていった時期に、
 お腹の皮膚にカバーされて何が何だかまったく見えないままとにかく大きくな
 っていった時期に、
進む手ごたえだけがあるのだ、
わたしは現代的って何なんだろうと考えていた、
現代的なセックス、現代的な受精、現代的な着床、そして現代的な妊娠。
まったくあれよあれよと見ているだけだったのだ、
医者もなにもかも。
十か月の間。
特になにかを意思表示するとかはっきりと分析するとか指標を示すとか
屈辱的にすみません私が悪うございましたまったく私の認識不足でした泣いて
 謝りますいままで世の中というものを人間と言うものを甘く見ておりました私
 はほんとうに未熟なものでございます心の底から申し訳ありませんでしたと感
 情的に叫ぶとか
そういうことはまったくないままはじめての女装。
えびす顔の助産師に助けられてぷっくり出た妊婦さんのお腹を模した砂袋がわ
 たしの腰にまきつけられる。
ぴんく色とぐりーん色とどちらがいいですかと言われてじゃあぴんくでお願い
 しますと言って選択した砂袋。
立ったり座ったりしてみてください、
ゆっくり。
両手でお腹をかかえてこれがわたしの赤ちゃんねと思ってください。
わたしのお腹のなかでいま一つの小さなかけがえのない命が育ちつつあるのね
 と思ってください。
ではいいですか、記念撮影しましょう、
と本物の妊婦と手をつないではい、いい笑顔ですね、もう一枚、
はい撮れました。
じゃあゆっくりね、お腹の砂袋をこの台に載せてゆっくりと。
ゆっくりとマジックテープをはがしましょう。
と、想像妊娠のあかんぼは
想像お母さんから切り離されて
いきなり砂袋に戻る。
ぴんくの砂袋に戻る。
どう思った?
どんな感じだった?
と幸せなカップルたちがざわめいている。
思ったより重かったでしょ、わたし、えらい?
と妻たちが甘えている。
パパとまだ呼ばれていない、
まだ「彼」のままの未来のお父さんに。
ぼくすなわちお父さんすなわちパパすなわち彼。
彼すなわちパパすなわちお父さんすなわちぼく。
それが自分なのだ、と腑に落ちる。腑ってどこなんだ、とわからないが、
とにかくそこに墜ちる。
流星のごとく。
自分が自分の中に無限に落ちていく。
自分が自分の体のなかに無限に墜ちていく。
きれいな砂地みたいなところにすとんと着地する。
まっさらな大地。
まっしぐらな英雄。
自分があった。
ここに自分があった。
それが跳ねるように、
そこから跳ね出すように、
やがて小さい人が生まれ、
大きな声を出しておしめを要求する。
これは不条理なのか、
不合理なのか、
おどろくほどきれいな朝に、
お風呂にいれてもらって「おふろ」と発語する、
オムツがぬれてくると「ね――――」と発語する、
親の顔を見ると「やふー」と発語する。
噓をついてもだめなのである、
ちゃんと見ている。
ヒトの子の親として、というのかなんというのか、
何かを問いかけているような
そんなあきらかな野性の視線に存分にさらされながら
歩いた
あの
山道を思い出す

(掲載作選出・伊藤比呂美)

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