著者 | 野澤節子 | ||
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タイトル | 静謐、豊潤の泉 | ||
出版年月/出版社 | - | 受賞回[年] | 4回[1989年] |
分野 | 俳句部門 | 分類 | 選評 |
受賞句集「筒鳥」は、村越化石氏の第四句集に当る。作者は長い病との闘いと忍従の果に、ついに両眼の明を失い、常闇の中にあって、四十にして晩年の覚悟の上に、漸く平明と平常心の明るい境に、己を見出された作品集である。いまなお社会に閉された世界にあっても、一本の杖をわがものとして
こつこつと冬を去らしむ杖の音
と、山国の自然の中で、心の眼を見開いて、生きることにいのちを輝かせておられる清冽、静謐な境涯の一書である。
白露のまろみを持ちて石据わる
双つの耳持ちて朧の懐に
常闇の身を湯豆腐にあたためぬ
巣づくりをゆるしてしづかなる
筒鳥や山に居て身を山に向け
空拳を握りしめたるまま昼寝
歩くこと残され歩くきりぎりす
大空を鏡と衣更へにけり
晩涼を歩す向ふより道来る
「双つの耳」は、朧に身をゆだねながら、双耳が作者の手足となり、見える眼になっている。「筒鳥や」は、山にある身が筒鳥の声に導かれてさらに深くへ分け入ってゆく如き宇宙感、「空拳」はふとみせた作者の覚悟が、昼寝覚の空白の中に甦る。「歩くこと」はひたすら歩くことのみに賭けた切情、「大空」の明朗な開放感、「晩涼」の行くところわが道の拓ける自在境。さらに「遊びめく膝に貰ひぬ青瓢」「峯二つ踏み来し友と木の実酒」などは、仙境に入る如き遊心である。
化石氏は昭和十六年、草津の癩園に入園、本田一杉に初めての俳句指導を受け、昭和二十四年、大野林火の門を叩き、いまは亡き林火の心身と熱情を傾けた指導により、自らの境涯の裸心を俳句に示しはじめた。
癩人の相争へり枯木の日
除夜の湯に肌触れ会へり生くるべし
生き堪へて七夕の文字太くかく
第一句集「独眼」の巻頭の句である。師の心に呼応して燃え上った俳句の火は、病者としてのかなしみ、嘆き、更に生命の尊さの認識、人間信頼を詠う方向に俳句の場を確立。「われわれが癩の最後だと思って作っている」と林火に洩らしたという覚悟をもって、壮烈なまでに
獣の糞緑に和む緑山中 (独眼)
もう急かぬ齢の中の冬籠 (山国抄)
木の葉散る濁世を
先に明石海人の短歌、北条民雄の小説があるが、いずれも戦前のものである。戦後の癩園の移り変りを直視して生き抜いてこられた化石氏のこの句集こそ、一人の人間の汚れなき魂と、いのちの清冽な尊厳さをもって、喧騒な世の汚濁の中に、静謐、豊潤の泉の水輪を広げて下さるものと信じてやまない。